見出し画像

【短編小説】真実の言葉

 揺るぎない陽光が大地を炙る午後。そよ風がアシスの湿地帯から湿った空気を運んでくる。
「お前らの念が足りねえからすぐ壊れる。今度はしくじるな」
 彫出士のツィンマーマンは弟子達を怒鳴りつけている。
 湿原で遺跡が発掘されるとそれに呼応して魔獣の出現頻度が増加し村の防御土塁は頻繁に小破するようになった。
「弱い」
 シュパンは手に取った刻印石を見て思わず呟いていた。
「なんだ?」
 ツィンマーマンに睨まれシュパンは体を硬直させた。
「ブツブツ言ってる暇があったら手を動かせ」
「は、はい」
 シュパンは慌てて刻印石をはめ込む作業を再開する。
 彫出士の手によって〈真実の言葉〉と呼ばれる文字が刻まれた石板―刻印石が定位置に配置された時、防御土塁に魔獣忌避効果が付与されるのだが、
「これも弱い」
 首を捻ったシュパンの襟首がぐいと後ろに引かれた。
「邪魔だ。働かねえならどいてろ」
 ツィンマーマンに手荒く引き倒されたシュパンは無様に仰向けに倒れ、兄弟子たちの失笑を受けた。
 シュパンは手に握ったままの工房製の刻印石を見つめた。〈真実の言葉〉の強さは彫出士の精神力、体力、それから刻印庁が配布する手本―ファインハルス手本と寸分違わず仕上げられるかどうかで決まる。強さを測る物差しがないので職人の経験と勘が物を言うのだが、シュパンは生まれながらにして何故かその強さを〈流れ〉として感じ取る事が出来た。
 この石も〈流れ〉が弱い。
〈真実の言葉〉を刻印すると物の中に〈流れ〉が生じる。その〈流れ〉が工房製の刻印石よりも防御土塁を支えてきた古い刻印石の方が強い事がある。風化の影響を受けているにも関わらずである。
 何故だろう。文字の精度は悪くない。
「親方、このままじゃまた同じ事の繰り返しです。念の込め方を改善するためにもっと文字について理解を深める必要があると思うんです」
「俺の仕事にケチつけようってのか?」
「ち、違います。僕はただ…」
 〈流れ〉の話は信じてもらえない。どう説明すればいいかシュパンはいつもここで行き詰る。
 ツィンマーマンは唾を吐いた。
「あれに意味なんかねえ。俺達の仕事は手本通りの物をつくる事なんだよ!それより手を動かせ。いい加減、お前が俺達の足引っ張ってる事に気づけ。使えねえ」
「…すいません」
 ツィンマーマンは立ち上がってグルグルと肩を回し始めた。
「しかし、暑いな。そぉーうだ。ちょうどいい。シュパン、お前、俺んとこやっとけ。念は体力。念強化の特訓だ。終わったら呼びに来い」
 ツィンマーマンはそう言うと村道沿いの並木がつくる木陰へ逃げて行った。
「〈美文家〉シュパン様、こっちの仕事を見てもらえませんかねえ」
 シュパンは兄弟子の呼ぶ声に振り向いた。
「休んでないで仕事しろって言ってんだよ」
「は、はい!」
 〈美文家〉というあだ名は若くして超絶技巧を身に着けファインハルス手本を作り上げたファインハルスその人の二つ名だ。
 つまり嫌味である。
「おい、あいつ…」
 兄弟子の指さした先には地べたに腰を下ろしぼんやり防御土塁を眺めている不審な男がいた。
「ギドだろ?かまうな。厄介事はごめんだ」
 ギドは村はずれの廃屋に住みついた流れ者で、不愛想なうえ、汚い金を扱って暮らしているという噂があり、誰も近づきたがらない男だった。
 シュパンも関わり合うのは面倒だと感じ、目を合わせないように意識して持ち場へ戻った。
 崩れた個所から古い刻印石を探し出し、土を払い、損傷の有無をチェックする。
 1つは端が欠けていたが良好な〈流れ〉を保っている。だがもう1つは一見無傷だが風化により〈流れ〉が大分衰えていた。
 シュパンは欠けている方を残し、無傷な方を捨てた。
「どうして傷のある方を選んだ?」
 突然声をかけられ振り返った。
 無精髭とひどい寝癖のついた髪の毛―ギドだった。
 不意に手の平に何かを押し付けられた。
「嵌めとけ。バレないようにやれよ、少年」
「え?」
 刻印石だった。
 シュパンが驚いたのはその〈流れ〉の見事さと見た事のない文字が刻まれている事だった。
 忌避効果がある文字は1種類。それ以外は知られていない。にもかかわらずこの刻印石にはさらに2文字の〈真実の言葉〉と思われる文字が刻まれている。
「こ、これどこから」
「シュパン!」
 再び怒鳴られたシュパンは遠ざかる背中に後ろ髪を引かれつつ仕事に戻るしかなかった。
 
 

 数日後、シュパンはギドの家の前でそのドアをノックすべきか迷っていた。
 明らかに効力の高いあの刻印石を捨てる選択はなく、シュパンは防御土塁に組み込まざるを得なかった。そしてその部分は昨日再び小破した場所にあって唯一無傷だった。魔獣と土塁の接触の仕方によるのかもしれないがそれを偶然で片づけるには話が出来すぎているように感じられた。いてもたってもいられなくなったシュパンの足は自然とギドの元へ向かったのである。
「おや、君は確か…」
 突然背後から声を掛けられシュパンは大きく身を震わせた。
「ローヴァインさん?」
 その精悍な男は顔見知りだった。ほっと胸を撫で下ろす。工房の大得意だ。考古省の兵士と聞いていた。
「入らないのか?」
 そう言いつつローヴァインはノックしていた。
「うわ」
 シュパンの心が決まらないうちにドアは開き、くたびれたギドの顔がドアの隙間から覗いた。
「どうぞ」
 ギドの視界には明らかにシュパンも入っていたはずだったが何故いるのかすら尋ねられる事なく中へ通された。
「できているのかい?」
 そう言ったローヴァインの鼻先に矢がぎっしり詰まった矢筒が5つ差し出された。
「お、流石だね。じゃあ、これ」
 ローヴァインは銀貨の束を5つ、代わりに差し出した。
「きっかり50万レガット」
 大金だった。
「あ、シュパン君、このことは親方には内緒だよ。君がここに来たことも内緒にしておくからさ」
 口止めという事は、つまり、この矢には〈真実の言葉〉が刻まれているという事。そのうえ工房の10倍の値段での取り引き。色々と面倒な事になるのだろう。
 ローヴァインはよろしくと言いながらシュパンの背中を軽く叩き、自分は少し作業台を貸してくれといいながら矢筈の辺りに朱を入れる作業を始めた。
「あ、すまん。忘れてた」
 それを見たギドが謝る。
「いいんだ。強引に押し掛けたのはこっちだしね」
「その赤い印はなんですか?」
 シュパンは思い切って尋ねた。
「目印だよ。君のところの矢と混ざっちゃうと戦闘中困ってしまうんだ」
 困る?
「で、あんたは何の用だ。少年」
 ギドは足が悪いのか時々左足を引きずるような仕種を見せる。
 窓際の机の上でまだ湯気の立ち昇るカップを手に取って一口すすり、それからあくび。首を回して髪を掻き毟る。
「この間の刻印石の事です」
「礼はいい」
「あれはあなたが拵えたものですか?」
 ギドの充血した目がシュパンを捉えた。
「これ」
 ギドは答える代わりに1本の木材を突き出した。矢のシャフトの素材としてよく使われるトネリコ系の丸棒だ。
「え?」
 〈流れ〉があった。どうやって削りだしたのか、物に人の手が加われば失われるはずの〈流れ〉が残っている。
「この木は…」
「お前ならどこに打つ?」
 この木の美しい〈流れ〉を断ち切らずに〈真実の言葉〉を刻む事なんて可能なのだろうか。
 刻んだ時点で〈流れ〉は絶対に変わってしまうし、その勢いを殺いでしまうだろう。
「僕にはできません。どこに刻んでも調和が崩れてしまう」
「この木が整然と力を循環させているのはわかるな?」
「あ、いや、え?」
 この人にも〈流れ〉が見えている?
「お前はどうしたい?」
「この木の持っている力を活かして文字を刻む…でもそんなことは…」
 ギドはその丸棒をシュパンから受け取ると作業台の前に黙って座った。
 工具箱を開け、中から道具を取り出す。ツィンマーマン工房では見た事のない品々がズラリと並んだ。
 螺旋、筒状そして三又の刃を持つ彫刻刀、見事な意匠を施された柄を持つ宝剣のごとき錐。他にも一見普通の外観を装いながらその実、赤や青の光沢を帯びた謎の金属からなる道具の数々。
 ギドはそれらを前に目を瞑り、呼吸を整えると静かに瞼を開け、目に精密作業用ルーペを嵌めるとそっと道具を手に取り、丸棒に刃を入れた。
 中央より少し上、そこに螺旋状の彫刻刀が食い込むと途端に〈流れ〉がその場所で変わった。だが、驚いたことに〈流れ〉はその彫っていく筋道に従って自然に向きを変えていく。
 〈真実の言葉〉が一文字出来上がる頃には木材の〈流れ〉は文字の中を美しく伝い、そして全体として明らかに加速し力を増していた。
「大事なのは力の循環を見極め、その文字に必要な場所と強さを決める事だ」
「場所と強さ」
「逆らわず、活かし、そして手助けする。するとその材料から文字の意味する力を彫り出せるようになる」
「意味する力を…彫り出す」
「ここでは大きさ、形、深さ、時には色までも意味がある。そしてその結果この世界に一つの存在が生まれる」
 意味がある。〈真実の言葉〉に意味がある。
「これは〈真実の言葉〉に限った話じゃない。言葉ってそういうもんだろ?〈生きる〉という言葉が存在するから俺達は生きている。風という言葉があるから、火という言葉があるから、それは俺達の前にある。もしなかったら素通りだ。彫出士は〈真実の言葉〉の意味するものをそこに顕す」
 その後も黙々と文字を彫るギドから醸し出される圧倒的な雰囲気にシュパンは気圧されていた。
「見えるんだろ?」
 突然ギドが尋ねた。
 心臓が高鳴った。
 この人なら僕に意味を、その意味を教えてくれるのではないか。
 だが、その時、その高揚感を地に叩き落すかのようなけたたましい鐘の音が鳴り響いた。
「まいったな。本隊、間に合わなかったか」
 それにいち早く反応したのはローヴァインだった。彼はギドに礼をいい、矢筒を袋に放り込むとドアをぶち破る勢いで外へと駆け出して行った。
 シュパンもギドに礼を言い、ローヴァインの後に続いた。
 この鐘の音は魔獣襲来を伝えるものだ。しかもただ事ではない。防御土塁が破られてしまったのだろうか。
 工房の職人は戦闘終了後即座に復旧作業に取り掛かれるよう近場に待機しなければならない。
 先を行くローヴァインの脚は速く、その背中はグングン遠ざかった。
 息を切らして走り、やっとの事でその姿を捉えた時その視界には異形の姿も映り込んでいた。
 金属光沢を持つ直方体の胴、その全身から釘のようなものが無数に突きだしている。顔は無く、4つの脚を持ち、牛ほどの大きさ。魔獣の姿は様々だが襲われた者の末路は皆同じ、触れられただけで心を喰われ、傷一つない死体となる。シュパンの背筋は一瞬にして凍り付いた。
 魔獣は防御土塁の内側に侵入していた。だが、その体には既に多くの矢が突き刺さり、それ以上前進する力を失っているようで駐留軍の放った矢を為す術なく受け続づけていた。
 そんな中ローヴァインが弓を引くのが見えた。シュパンには矢筈につけられた朱がはっきりと見えた。
 それが綺麗に命中し、深々と魔獣の体に突き刺さるとその体が一度ビクリと大きく震え、光の粒となって散っていった。
「どうだ!俺の矢は!」
 お馴染みのだみ声が聞こえてきた。ツィンマーマンだ。
「あっしの仕事に間違いはねえでしょう?これからも彫出士ツィンマーマンをよろしくお願いしますぜ」
 駐留軍の兵士達へ熱心に自分を売り込んでいたが程なくしてシュパンに気付いた。
「よお、シュパン。よくものこのこ顔出してきやがったな。仕事さぼって何してやがった?」
「いえ、僕は…」
「なんだよ」
「今日は休むとお伝えしました」
 ツィンマーマンは舌打ちした。
「俺は許可した覚えはないぜ」
「わかったとおっしゃいました」
「そいつはお前の言い分が聞こえたって意味だ。俺は許可すると言ったか?」
 ツィンマーマンは一転ニヤニヤと笑った。
「いえ…。でも聞いてください。おかげで今日ようやく文字の意味についての手がかりを得たんです」
「意味なんてどうでもいいって言っただろうが」
「でも僕はもっと…」
「お前、明日からもう来んな。輪を乱すヤツが一人いると仕事場の空気が濁っちまうんだよ」
 シュパンは唇を噛みしめた。
「…ってます」
「あ?小せえ声でボソボソ話すんじゃねえよ」
「わかってます。僕があなたから学べる事は一つもない。あなたの千の仕事はたった一つの本物に敵わない。その事も今日わかりました」
 ツィンマーマンの拳が頬に飛んでシュパンはもんどりうって倒れた。
「ちっ、つい殴っちまったじゃねえか。手を怪我したらどうしてくれんだよ、ったく。いいか、もう二度とツラ見せんじゃねえぞ」
 魔獣退治に喜んでいた駐留軍兵士達の視線は今や2人に集まっていた。
「あ、これはお恥ずかしいところをお見せいたしやした」
 ツィンマーマンはシュパンに背を向けると一転、笑顔を浮かべ兵士達に大量の世辞を浴びせにかかった。
 シュパンは右腕を支えにして上体を起こし、切れた下唇の血を拭って、立ち上がるべく右膝を立てた。
「つかまって」
 差し出された手はローヴァインのそれだった。
「かっこよくキメたのに君達にもっていかれてしまったよ」
「すいません」
「冗談だよ。ギドの矢の事かい?」
「一言も言ってないから大丈夫です」
 シュパンは立ち上がり衣服についた砂を払い落として、もう一度ローヴァインに謝った。
 駐留軍が現状を確認し、壊れた防御土塁の代わりに配置につき、気遣っていたローヴァインも去って、破損した土塁の応急処置を施すべく工房の連中が出揃うまで、シュパンは防御土塁の切れ間から陽光を反射して煌めくアシスの湿地帯を見つめていた。


 数日後、シュパンは再びギドの家のドアの前に立っていた。
 後ろを振り返ったがローヴァインの姿はもちろんなかった。
 シュパンは大きく息を吸い込み、それからノックした。
 ドアは予想に反してすぐに開いた。
「やあ」
「ロ、ローヴァインさん?」
「入りなよ」
「え、でも…」
「いいんだよ。僕は彼の仕事を待っているだけなんだ」
 言われるがままに中へ入るとギドは作業台に向かって黙々と仕事をしていた。
 刀身に〈真実の言葉〉を彫っているところだった。
「お邪魔でしたか?」
「邪魔じゃないよね?むしろ待っていたよね?」
「うるさいな。今、最後の一振りが出来たところだ。なんか用かい?」
 シュパンは跪き頭を垂れた。
「弟子にしてください」
 その言葉は自分でも驚くほど素直に口から零れ落ちた。
「いいよ」
「え、あ、ほんとに…ですか」
 拍子抜けするほどあっさりとその申し出は通った。
「給料安いけど」
「ありがとうございます!」
 それを見ていたローヴァインが悪戯っぽい笑みを浮かべ、ギドの耳元で囁いた。
「弟子が来るように仕向けたんだろう…?ギド・ファインハルスともあろう者が」
「ふん」
 シュパンは2人のやりとりを不思議そうに見ていた。
 それから間もなくのことだった。
〈美文家〉が初めて弟子をとったという噂が流れてきたのは。

〈了〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?