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【短編小説】折れた剣

 ウォレス・ローザには時折ふわりと浮かび上がる想い出がある。
 それは特に忘れられないほどの記憶ということもない。
 何もやる事がなく椅子に腰かけ光の中に浮かぶ幾多の塵を眺めている時に決まって記憶の淵に手をかけて這い上がってくる、しぶといがどうという事はない記憶である。

「お前の爺さん妖精王の騎士なんだろ?」
「死なないんだよな」
「でも普通に歳食ってるじゃん。おかしいよ、なんでだよ」
 ウォレスは冷やかしの声を無視して帰り支度を進める。
「なあ、俺、この前素振りしてるの見ちまったんだけどさ…」
「あれだろ?あの剣支給品らしいぜ、制式のな」
「うわ…まじかよ、そんなに適当なのか?」
「知らないよ。でもいいよな。剣がなくても務まるって事だろ?楽だろうなあ。それで金入ってくんだろ?俺も入団審査受けてみようかな」
「あれ、インチキらしいぜ」
 道場をそそくさと後にし、正門を潜ったところでウォレスは走った。
 嘲笑を振りほどけぬまま家路を全力で駆け抜け、そのまま自宅の庭に駆け込み草の上に寝転がる。
 空全体を幕の様に広がる薄い雲が覆っていた。
 空気を切る音が聞こえる。
 ウォレスは起き上がりその方向を見つめた。
 祖父アレン―。
 立ち木を相手に素振りを繰り返すその手に握られている柄の先に刃はない。
 根元に近い所からぽっきり折れたそれをアレンはひとしきり振ってから鞘に納め、汗を拭い、家の中に戻っていった。
 ウォレスは老剣士の後を追った。
 勝手口のドアを開け、キッチンを横切り、薄暗い廊下にでる。その向かいの部屋―アレンの部屋の前で立ち止まった。
 ドアはわずかに開き、カーテンの閉め切られた薄暗い室内にアレンの人影があった。
「おかえり」
 アレンは戸口に背を向けたまま、鞘に納まった折れた剣を両手でそっと持ってしみじみと眺めていた。
「何か用かい?」
「爺ちゃんは死なないんだろ?」
 これまでウォレスはアレンが妖精王の加護を受けた不死身の騎士だと疑ったことはなかった。しかし少年が適性査定の歳になり武術の道場に通い始めるとアレンの役職である妖精王の騎士団員が戦士として正当に評価されていない現実と向き合わねばならなくなった。
 祭祀に駆り出され一定の敬意は払われているが、実際は騎士道より肩書と金を選んだ者がコネで行きつく場所だと思われている。
 なにしろ待遇が良い。危険な任務に駆り出される事もなく退役後まで生活が保障され、路頭に迷う事がなくなる。
 そのため妬みから誹謗中傷を受けやすい。
 だがウォレスは信じていた。
 祖父が嘘つきだとは思いたくなかった。
「間違いではないよ」
「じゃあ、どうして歳をとっていくの?」
 アレンは静かに笑う。
「そりゃあそうさ。儂は不老不死ではないからな」
「どういう事?」
「歳はとるし、寿命が来れば命も尽きる。儂が不死身なのは戦場だけだよ」
「戦場って…爺ちゃん戦に出たの?」
 この数十年フレストンに戦はないはずだ。学校でそう教えられたし両親も一度も戦の話などしたことはない。
「ああ。戦って死んでも妖精王陛下が魂を肉体に戻してくださるんだ」
「今も?」
「多分な」
 アレンは天井を見つめ目を細めた。
「そうか!その剣は戦場で折れたんだね」
「ああ、これは最初からだよ。拾ったんだ」
「…拾った?」
 ウォレスの顔が曇った。
「縁だよ。こいつと儂は深い縁で結ばれとるんだ。命の恩人だからな」
「恩人?」
「山中での訓練中に滑落してな。下に落ちていく最中目の前が青白く光った。儂は無意識にそこに手を伸ばしていた。こう…岩の割れ目から丁度柄だけ出とってな。藁をもつかむ思いで掴まったよ」
「それで?」
「それから儂はこいつと共にずっと戦ってきたんだよ」
「折れてる剣で?」
 ウォレスは深いため息をついた。
「もういいよ、爺ちゃん。本当の事を言ってよ。戦えないでしょ?この剣じゃ」
「いやいや戦えるさ。人にはその人にしかできない事が必ずある。この剣も同じ。この剣にしかできないやり方がある」
「刀身がないのに?一合だって打ち合えないじゃないか」
「人は斬れんだろうな」
「果物の皮だって剥けないさ」
 ウォレスは吐き捨てた。
 アレンは確かにと言いながら笑って、そして言った。
「魔物が斬れる」
「は?」
 今度はウォレスが笑う番だった。確かに魔物を滅ぼしたのは妖精王の騎士団だ。老いた騎士の想いは既に自らの記憶を越え伝説という名の妄想の中を漂い始めているのかもしれなかった。
「いいか?」
「こう…心を強くもってだな…」
 アレンは抜刀し、折れた剣を恭しく上段に構え、そして振り下ろす。
「あれ?」
 木を相手にしていた時と同じただの素振りが続く。
 そのあまりに必死な姿が訳も分からず可笑しくてウォレスの気持ちも緩む。アレンといると楽しいのだ。それは間違いない。
「根性だけでは戦えないよ?」
 ウォレスはもうこの哀れな年寄りを許す気になっていた。
「いや…その通りだ」
 アレンは首を捻りながら何度も剣を持ち直す。
「もういいよ」
 ウォレスが立ち去ろうとしたその視野の隅で光が立ち上がった。
 それは老騎士の握った柄からまるで刀身然と鋭く上へ伸びているように見えた。
 しっかり確認しようと姿勢を正したその瞬間、横から射した強い光に刃は呑まれた。
 窓辺のカーテンが揺れている。
「ウォレス?帰ってたの?」
 母の声だ。勝手口から流れ込んできた風がカーテンを動かしたようだった。光はその隙間から射し込んでいた。
「爺ちゃん…今…」
「何が見えた?」
 風が吹き抜けた後にもう光は残っていなかった。
 そしてアレンの手の中には以前と変わらずただ折れた剣だけが握られている。
「青い…」
 青白い光が見えた気がした。
「て…手品?」
 ウォレスはカーテンを自分で揺らしてみたり、見る角度を変えてみたりした。
「爺ちゃん」
 アレンは黙って折れた剣を差し出す。
 自然と伸びた手がそれを受け取っていた。
「お前にやろう」
「どうして?」
「形見だ」
「じゃあ、いらない」
「なぜ。これも縁だ」
「形見なんて縁起でもない。まだ別れるには早いだろ」
 アレンはウォレスの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「忘れたか?儂は不死の騎士だ」
「なんだよ!さっきと言ってる事違うじゃん!」
 
 あの時のアレンの掠れた笑い声は今も鼓膜に薄く残っている。
 瞼の向こうで明滅する光が気になって目を開けると揺れるカーテンが見えた。
 丁度十年前のあの日と同じ光景だった。
 ウォレスは柄を握った。
 少し錆が進んでいたが力を入れると簡単に抜ける。
 そっと目の前に翳した。
 その瞬間折れた剣の断面が青白く色づいたように見えた。
 目を凝らしてもう一度よく見てみたがそれはなんの変哲もない錆色のついた金属の表面だった。
 ウォレスは手の中でそれを何度かクルクルと弄び、背もたれに身を預ける。
 そして訪れた微睡みに再び身をまかせた。
 



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