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小説/N市の記憶。もしくはその断片。#2 行方不明 #1

 昨日はカレーを作ったが、自分で言うのもあれだが、なかなか美味しくできた。
 コロナ禍で手に入れたものがあるとすれば、スパイスからカレーを作れるという特技だ。自然界の物質から、何をどうすればカレーの味になるのか、長年の謎だったのだが、わかってしまえば、それはクミンシードと呼ばれるスパイスだった。
 クミンシードと玉ねぎを炒める。くたくたになるまで炒める。ターメリックとコリアンダーシードを入れる。他のスパイスはその日の気分でいい。辛くしたいのならカイエンペッパー。くせを強くしたいならクローブ。コリアンダーシードだけは二倍だ。忘れないように繰り返しておく。コリアンダーシードだけは二倍だ。

 田沼文乃が行方不明になったのは、平成二十八年の六月。
 アルバイト先のイタリア料理店で、午後十一時に後片付けを終えて、オーナーの岩倉氏と言葉を交わした。それ以降、田沼文乃の足取りはわかっていない。
 発生から月日が経過しており、岩倉氏が当時のことを覚えているか不安だったが、「最後に会ったのが私みたいですからね、覚えてます」と岩倉氏はこたえてくれた。
「うちでバイトしていなかったら、とか、もっと早く帰るように言っていれば、とか、あのときはいろいろ考えました」
 田沼文乃の移動手段は、もっぱら自転車だったらしい。このアルバイト先にも自転車で通っており、何らかの事件に巻きこまれたのだとしたら、ここから当時住んでいたマンションまでの帰宅中である可能性が高い。
 翌日の夜、勤務時間になっても姿を現さない田沼文乃に、岩倉氏は何度か連絡したという。しかし圏外、もしくは電源が入っていなかった。アルバイトの従業員がそうやって辞めていくことは以前にもあったので、腹は立ったが、それ以上の詮索はしなかった。
 大学の友人や同じゼミを受講していた何人かは、田沼文乃が大学に来ていないことに気づいていた。いつから来ていなかったのかは誰も覚えていない。気づいたときに、何かあったのかなと思っただけで、特別な処置を講じたりはしなかった。
 捜索願いが出されたのは、田沼文乃の消息が途絶えて、およそ一ヶ月後のことである。連絡がとれないことを不安に思った母親が田沼文乃のマンションを訪れ、事態が発覚した。
「他に覚えていることはありませんか?」
 私がたずねると、岩倉氏は苦笑いして言った。
「おかしな言い方ですが、覚えていないことを覚えているというか」
「どういう意味です?」
「あの日の文乃ちゃんの顔だけ、どうしても思い出せないんですよね。のっぺらぼうというか、顔の部分だけ鉛筆で塗り潰されてるみたいに」
 岩倉氏の記憶に残っているのは、田沼文乃の姿ではなく、田沼文乃が仕事を終えて店を出て行った後、玄関扉に取り付けているドアベルが、いつもより長く揺れている光景だという。

 アルバイト先だったイタリア料理店から、当時、田沼文乃が住んでいたマンションまで、実際に歩いてみた。
 イタリア料理店は、駅を出てすぐの飲食店が軒を連ねる通りにあり、大通りの信号を渡ってからは、住宅地がひろがっている。駅から遠くになるにつれて町は古びていき、最終的には道幅が車一台分しかない網目状の路地に、新旧の民家が押し詰められている。
 さらに歩くと、三面コンクリートの細い川が流れており、その川を町の境界とするならば、田沼文乃が住んでいたマンションは、ぎりぎり町の内側、川岸の道路に面して建っていた。
 マンションの管理会社に問い合わせてみたが、担当が変わっているため、当時のことを知っている人間はわからないとのことだった。また、七年前から住んでいる人間はいないかと訊いてみたが、個人的な情報なのでお教えすることはできないが、このマンションはだいたい三、四年で住人が入れ替わっているとのこと——端から期待していない問い合わせだったので、落胆はない。
 マンションに背を向けて立ち、あたりを見まわす。境内のない小さな寺が見える。隣接する保育園があり、中古車の展示場が見えた。
 建ちならぶ民家のベランダには洗濯物が揺れている。ここには生活がある。それなのに、人が住んでいるという実感はない。
 彼女もきっと同じ風景を見ていたはずだ。
 親元を離れて、初めての一人暮らし。
 見えている風景は同じでも、見え方は違ったかもしれない。


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