見出し画像

小説/N市の記憶。もしくはその断片。#20 殺人家族 #2

「何年かに一人、死人が出るんです」と秋元裕子さんは言う。
「というと?」
「誤診なのか、手術に失敗したのか、本当に助からない病気だったのか、素人のあたしにはわかりませんけど、何年かに必ず、峰岸病院で死ぬんです」
 病院で死人が出ることは当然のことなのかもしれない。人々の生死を取り扱う、それが病院であり、元気な人間は病院など行かないのだから、結果、病院に通う人のなかで死者が出る確率は高くなる。
 しかし峰岸病院は小さな町病院である。生死に関わる病気や怪我の治療ができたのだろうか?
 しかも死んでいたのは、まだ若い女性だったらしい。
 秋元さんの子供のころはまだ戦後まもなくの混乱期であり、死者が珍しくなかった。日々の食事は足りておらず、危険な仕事が多かった。駅前には闇市があり、お使いを頼まれた秋元さんは、その物陰で野垂れ死んでいる男を見たこともあるという。
 もちろん、生活は少しずつ改善されて、不足していた物資も行き届くようになり、駅前から闇市も消えて、商店街に姿を変えた。しかし、峰岸病院では死亡する患者が途絶えることがなかった。定期的に死人が出る。死者という全体数が減ったのだから目立ちはじめる。
「誰かに話したことは?」
「近所の人とは、まただ、って感じで話すことはありました。警察に話した人はいないと思いますよ。町内のことですし、本当に助からない病気だったのかもしれませんし……でも、そういうこともあって、峰岸病院から足が遠のいた、っというのが本音ですかね」
 秋元さんの記憶に残っているだけでも、五人の若い女性が峰岸病院で亡くなった。秋元さんが物心ついてから峰岸病院が閉院するまで、覚えているだけで、五人——その件数が多いのか、妥当なのかわからない。大病院では毎日誰かが死んでいるのだろうが、小さな町病院で? と考えると、私の認識では多い気がする。
 その女性たちは、本当に死ななければならない運命だったのだろうか?
 助けることができない病気だったのだろうか?
 私の脳裏にもたげているのは、峰岸の祖父、峰岸努が医師という立場を利用して、合法的に死体を処理していた可能性だ。
 医師になれなかった峰岸雅彦は、自宅の庭に死体を埋めることを考えた。その息子である敏彦は、最初の一人、田沼文乃のときには父親のやり方を真似た。次の二人、香山沙織さん、深谷夏帆さんの場合には、警察の捜査が誤った方向に行くように画策した。
 親子二代ではなかった。
 親子三代の殺人鬼だ。
「峰岸病院で死人が出ていたのは、六月ではなかったですか?」
「どうだったでしょう。でも、たしかに梅雨に入るかどうかの季節だったような気がします」
「最後に」と私は言った。「六月六日って聞いたら、何を思い出します?」
「それは黄魂さんですかね」
「黄魂さん?」
「黄魂さんのお祭り。六月六日」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?