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小説/N市の記憶。もしくはその断片。#21 黄魂山

 戸塚絢が楽しげに話している。
 喫茶店。窓際の席に座っている。ガラスを透かした陽射しが、対面に座る戸塚絢の頬をやさしく照らしている。
 何かを喋っている。身振り手振りで、表情がころころと変わる。
 ウェイトレスがあやまって、水の入ったグラスを床に落とす。戸塚絢の肩がびくんと揺れる。何があったのかと店内の奥に視線を向ける。
 私の顔に視線を戻す。再び話しはじめる。
 それなのに聞こえない。彼女の声が聞こえない。聞こえないが、戸塚絢の喉が動くのが見える。細い喉だ。鳥のように細い。
 戸塚絢が笑う。
 あわてて私も笑ってみせるが、私の視線は彼女の喉から離れようとしない。
 白く細い。
 若々しく、可愛らしい喉だ。

 秋元裕子さんが幼い頃、黄魂彦神社はN市を代表する神社だった。交通の便は悪かったが、それでもお正月の初詣、六月六日の〈黄魂さん〉と呼ばれる祭りには必ず足を運んでいたという。
 入手した古地図を見ると、現在のN大学の敷地のほとんどが黄魂彦神社だったことがわかる。参道は駅からはじまっており、おそらく現在のマクドナルドのあたりに大鳥居があり、N大学まで続く直線の道が参道だったのだろう。御拝殿が現在のN大学玄関あたりか。
 戦時中には多くの出征軍人、および親近者が黄魂彦神社のお祓いを受けている。
 ご利益があったかは不明。
 本殿に納められていたのは銅鏡だったようだが、背後にそびえる黄魂山こそが御神体であり、古くからの信仰の対象は黄魂山であって、おそらく神社は後の時代になってから作られたものだろう。
 どうして、これだけ大きな神社が廃社となったのか?
 反対の声もあったと思うが、時代は信仰よりも経済の発展を選択した。新しい価値観といえば聞こえはいいが、信仰よりも、カラーテレビやエアコンを選んだだけである。また、当時は古くからの文化を蔑視する風潮があり、極端な言い方をすれば、日本古来の文化を悪として、アメリカの文化こそが正しいと示威行進していた時代——憧れが強く、影響を受けやすい民族は変化していく。
 そんな時代のなかで、神社よりも大学という施設を望んだN市民の気持ちはわかるし、大きな神社の維持は金銭的にも難しくなっていたのかもしれない。
 実際には、廃社ではなく移転という形式をたどっており、黄魂彦神社という名前こそ失われたが、N市駅裏の護国神社に統合された。

 また、ここに戻ってきてしまった、という感が強い。
 香山沙織さん、深谷夏帆さんが殺害された場所。
 戸塚絢が幽霊を見た場所。そのおばあちゃんが行ってはいけないと言い続けた場所。
 私自身が〈いや〉な感覚を察知した場所。
 この黄魂山こそが連続する殺人事件の根源という気がしはじめている。
 そういえば、峰岸雅彦が勤めていた製紙工場もN大学近くだったはずだ。それはすなわち、黄魂山にも近い。

「今度は何を調べてるんですか?」と戸塚絢が私の手元を覗きこむ。
 あれ以来、戸塚絢からは度々連絡がある。新しい怪談を提供すれば、昼食を奢ってもらえると勘違いさせてしまったらしい。最近では、N市とは関係なく、SNSで探してきた怪談も平気で話してくる。捏造疑惑もある。
「また黄魂山ですか?」
「知ってる?」私はたずねる。「黄魂さんっていうお祭りがあったらしいんだけど」
 戸塚絢は首を横に振る。「知らないです」
 戸塚絢が生まれたのが平成十六年。N市で生まれ育ったといっても、そのころにはすでに黄魂彦神社は存在しなかったので、知らないのも無理はない。
 N市の郷土資料館にて、私は黄魂彦神社の記述を見つけて、それを読んでいる。
 年代不詳。元禄の史料にその名称が出てくることから、少なくとも、江戸時代初期には存在していたものと思われる。地主神を祀った小さな神社だったようだが、江戸時代中期から信仰を集め、雨乞いの神、土の神、縁結びの神——時代と人々の願いに呼応するように、様々な神が合祀されていき、神社の規模も大きくなっていく。
 祭りについても記載があった。
 毎年の六月六日、黄魂さんの使い鬼が山を降りてくる。鬼は「ヤマ」「カリ」「サン」と呼ばれ、村の若者がその役を担当する。鬼役は青銅のお面をかぶり(その青銅のお面の写真が印刷されているが、正方形の銅板に目と口の部分が四角くくり抜かれているだけの、鬼というよりはロボットのようだ)体は蓑で覆う。
 山を降りた鬼たちは、若い女性を追いかけまわす。捕まった女性は婚期が遅れるといわれ、その代わり、その一族には繁栄が約束される。ある家では娘を隠し、ある家では娘を差し出す。捕まった女性は鬼の背に乗せられて、黄魂彦神社に連れ去られる。
 もちろん何かをされるわけではない。御神酒を飲んで、お祓いを受けて、記念写真を撮って終わりである。
 しかし私は、これは? と思う。
 時代を経て、こうした形に姿を変えているが、元々は生贄の儀式ではなかったか?
 女性たちは黄魂山に連れ去られ、二度と戻って来なかったのではないか?
 黄魂彦という名前の由来については、記載されていなかった。

「今回は、O県の野良サンバっていう話なんですけど」と戸塚絢が言う。
 もはや怪談ではなく、都市伝説になっている。野良サンバ? 都市伝説でもないのかもしれない。
 そんなことより、黄魂山である。
 私はもう一度、黄魂山に行くことに決めた。
 引き返した山道、朽ちた鳥居の先に何があるのか確認しなければならない。


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