見出し画像

小説/N市の記憶。もしくはその断片。#6 鎮守の森 #1

 最近はレコードを聴いている。
 使っているコンポにアナログ端子がないので、レコードプレイヤーをBluetoothで接続して聴いているのだが、プレイヤーから空中散布された音がジグゾーパズルみたいに分解されて、受信したコンポで再結晶化し、最終的に人間の耳に届けられているのかと思うと感動さえ覚える。
 本当のところは知らない。コンポのすぐ隣にレコードプレイヤーを置いているのだが、この一メートルにも満たない距離で何が行われているのか? Bluetoothで接続している時点で、レコードである意味があるのか? これはアナログなのか、デジタルなのか——
 というわけで、最近はBluetoothで接続するのをやめて、レコードプレイヤーからの、回転するレコード盤をなでる針が発する音を直接聴いている。
 まるで小人が演奏しているような小さな音だ。
〈風の谷のナウシカ〉を聴く。

 殺害現場となったN大学裏の雑木林を歩く。
 樫や栗の木、整備された散歩道のあたりは桜並木になっている。桜の季節は終わってしまったが、陽射しを浴びて、緑色の葉々が眩しいほど輝いて見える。その奥は鬱蒼とした森だ。日中でも薄暗く、見通しは悪い。
 ゆるやかな坂道を歩いていくと、芝生の公園があり、その周囲がランニングコースとして整備されている。
 とすると、香山沙織さんの遺体が発見されたのはこのあたりかもしれない。
 やはり資料で読むのと、実際に現場に足を運び、自分の目で見るのとでは大きく印象が異なる。街灯が多くあり(あとで知ったことだが、事件があってから、街灯の数は増やされたらしい)今日は平日のため人の姿はないが、休日には芝生で過ごす家族連れが訪れるのだろう。少なくとも、凄惨な事件が起こった現場という印象はない。
 第一発見者の夫婦はランニングしているときに被害者の足が見えた、と証言しているので、香山沙織さんの遺体はランニングコースからさほど離れていない、林中といっても奥深くない手前に放置されていたはずだ。
 しばらく散策する。
 資料を読んだときには気づかなかった違和感がある。
 香山沙織さんはアルバイト先からの帰宅中に、杉下公宏に襲われて殺害されたはずだった。しかしここは、通り抜けして近道となる、というような場所ではない。ここを目的地としなければ、絶対に足を運ばない。
 誰かと待ち合わせをしていた?
 資料を見返してみたが、そのような事実はどこにも記載されていなかった。

 公園からさらに山頂に続く道があったが、ここからは整備されておらず、山道と呼んでもよい細い道だ。石段が施されているが、年代的にはずっと古い。ひび割れ、倒壊し、日陰の場所は苔むしている。
 午後三時。
 差し迫った予定もないので、進んでみる。
 歩きはじめるとすぐに、木々が覆いかぶさるようにして空を隠し、静寂と暗がりが増していく。木々の隙間から見える陽射しは葉を透かして輝き、しかしそれは目に見えるだけの幻想のようで、その熱エネルギーまでは届かない。
 この山道を歩きはじめてから、ずっと何かの気配を感じている。それはこの雑木林に住む小動物たちというよりは、この森全体の気配、視線というような気がする。
 風もないのに、木々の枝が揺れる。
 栗の木の甘い匂いが立ちこめている。
 数分後、私は足を止めた。奇妙なものを発見したからだ。
 それは朽ちかけた木製の柱で、道を挟むように二本立っていた。群生する木々に囲まれているので見落としがちだが、それはあきらかに人工的で、何かを意図して立てられたものらしい。
 鳥居か?
 老朽化し、二本の柱を結んでいた笠木が崩れ落ちたのかもしれない。笠木のほうは風化し、もしくは誰かの手によって処分されて、二本の柱だけがここに残った?
 冷たい手で背骨を握られた気がして、足がすくむ。
 私は、いわゆる神秘主義者ではない。伝承としての怪談、民俗学な視点からのパワースポットには興味があるが、私自身は霊感がなく、不思議な体験をしたこともない。もしかしたら、という経験がないわけではないが、合理的な説明を考えて、自分勝手に納得してしまう。
 しかし、このとき、私は何かを感じた。
 陳腐な言葉で言えば、〈いや〉な感じだ。

 結局、私はその道を引き返した。
 迂回することになるが、東側には車道があり、その道を使えば、車で山頂まで行くことができるようだった。私はレンタカーで行動していたので、歩くのを諦めて、車で頂上まで行ってみることにした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?