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小説/N市の記憶。もしくはその断片。#3 行方不明 #2

 N市の図書館に足を運ぶ。
 田沼文乃が消えた平成二十八年六月、この町で何らかの事件がなかったかとアーカイブされた地元の新聞を調べてみたが、お年寄りが死んだというお悔やみ欄に町名を見つけただけで、少なくとも、新聞に載るような事件は起きていなかった。

 事件ではなく、自発的な失踪を考えてみる。
 失踪の多くの原因は金銭トラブルだが、田沼文乃には当てはまりそうにない。金銭に困っていた形跡はなく、また逆に、誰かにお金を貸していたという事実もないようだ。田沼氏にお願いして銀行の入出金履歴も確認させてもらったが、計画的な出し入れがされており、堅実な生活を送っていたことがわかる。
 次は人間関係だが、不穏な情報は出てこない。大学の友人(現在は大学を卒業して社会人になっている)との関係は希薄だったようで、大学にいるときには話すし、昼食を一緒にしたり、行動を共にするが、大学を離れてまで付き合う親しい人間はいなかったらしい。交際をしていた相手もいない。
 一つだけ。
 田沼文乃が消えた六月、もしくはその周辺でもよいのだが、彼女に変わったことはなかったか、という質問に対して、現在、派遣会社の事務員をしている磯村美恵さんはふいに笑いはじめた。
「そういえば、草まみれになっていたときがあって」
「草まみれ、ですか?」
「ええ、全身に草が。髪の毛にも服にも」
「どうして?」
「わたしも、どうしたの? って聞いたんです。そしたら文乃、誰かに呼ばれたって言うんです。誰かに呼ばれて振り返ったら、なんか飛ばない鳥がトコトコ歩いてるのが見えて、追いかけていたら、草まみれになったって」
 事件とは関係ないかもしれない。しかし、田沼文乃が鳥を追いかけていたという場所が、二人の女子大生が殺害された場所、N大学裏手の雑木林の可能性がある。
 聞くかぎり、N大学裏には、芝生の公園があり、ランニングコースがあり、その場所に行くことは特別なことではないようで(花見の季節には、けっこうな人で賑わうらしい)やはり関係ないのかもしれない。結局、判断を保留する。

 次にネット。
 ためしに彼女の名前で検索してみる。
〈田沼〉をキーワードにして、いくつかのネット記事やSNSのアカウントがヒットするが、田沼文乃との関連性はなし。
 彼女のメールやSNSも確認させてもらったが、〈今日のごはん〉と題されたツイートばかりで、料理の画像がならんでいるだけだった。

 自炊したのだろう、唐揚げとコロッケの画像を見ながら考える。
 この社会で消えることは簡単だ。
 実際、田沼文乃が行方不明になったことに、彼女の母親がマンションを訪ねるまで、誰も気づいていない。いや、いなくなったことに気づいた人間はいるが、それは自分の世界から消えただけで(それにどれだけの意味がある?)この社会から消え去ったことには気づいていない。
 しかし、それでいて人間一人が完全に消えることは難しい。探そうと意識すれば、そういう目で見れば、かならず足跡が見つかる。痕跡が残っている。
 しかし田沼文乃の場合、その足跡が見つからない。時間の経過もあるのだろうが、誰かに弱味を握られていたとか、裏の顔があって本当は性格が悪かったとか、陰口を叩く人間もいない。
 聞こえてくるのは、明るい子、いい人、少し天然。
 秘密のない人間がこの世界にいるのか?
 秘密こそ、自分が自分であることの証明だと思うのだが。
 ——と考えると、イタリア料理店のオーナー岩倉氏ではないが、彼女はどこにも存在しない、それでいて、どこにでも存在している、顔を失ったのっぺらぼうではなかったか、そんな気さえしてくるのだった。


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