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哲学×投資~幸せになるお金の法則~その2「投資とは?」

投資は利己か、利他か?

小川:議論に入る前に、またお悩みが来ているので読んでみたいと思います。投資に関していくつか質問が来ています。

・特に裕福ではない現状で、それでも幸せと思えているけれど、お金はあればあるほどいい。どこまで求めたらいいのか分からなくなります。
・投資先の選び方がわかりません。身近な日本企業に投資をしていますが、アメリカ株にも投資をした方がいいんでしょうか。日本とアメリカで選び方に違いはありますか?
・投資にはリスクとリターンがありますが、自分はどのくらいのリスクとリターンを取ればいいのかが分かりません。手持ち資金を貯めてから投資をした方がいいんでしょうか?

頂いた質問をきっかけに「そもそも投資って何だろう?」ということを考えたいと思います。

多くの人は「投資」って聞くと、特に私の周りの学生とかはまだ知識もないので、「ギャンブルですか?」とか、「マネーゲームですよね」とか、あるいはちょっと知っている人でも投機と一緒にしてしまっていたりするんですが、そういった一般的にイメージされるものと、奥野さんがやられているような投資との最大の違いは一体何なのかをちょっと考えていきたいと思います。まず、私が哲学を切り口にお話しして、その後で奥野さんにちょっと長めにお話を聞きますね。

私はここでちょっとアダム・スミスを紹介したいと思います。アダム・スミスの著作としては「国富論」が有名です。経済学の父と言われることもありますし、「神の見えざる手」という言葉は皆さんもご存知ですね。本当は「見えざる手」としか言っていないんですけど、私達がそれぞれやりたいことを追求していけば、自然に予定調和的に市場が成り立つっていう考え方です。アダム・スミスは実はもう1冊本を書いていまして、それが「道徳感情論」という本なんですね。実はこっちを先に書いています。
その中でこんなこと言っています。

『徳への道と財産の道、少なくともそういう地位にある人々が獲得することを期待しても妥当であるような財産の道は幸福なことに大抵の場合ほぼ同一である。』

ちょっと長いので文字だけ見ても分かりにくいですけど、簡単に言うと、「財産の道と徳への道を一致させよう」っていうようなことを言っているんです。

財産の道っていうのは、要するに「お金を儲けたい」という気持ちですよね。それに対して徳への道っていうのは、「とはいえお金のためなら何をしてもいいわけじゃなくて、自分で抑えなければいけないところは自己規制しよう」と考える気持ちですね。あるいは財産の道が利己を追求する「利己心」であれば、徳への道っていうのは他の世の中の人のことも考える「利他心」だと捉えてもいいでしょう。それを一致させないといけない、それによって初めて幸福が得られるって言っているんです。これはあまり国富論の中では触れられてない所、アダム・スミスの知られてない部分なんですが、私はこれが投資の本質であるような気もして、ここで紹介をさせてもらいました。

私達が自分でお金を何かに投資する、会社に投資するとかっていうのはもちろん「利己心」でやっているわけですよね。自分が投資することでリターンがあるから。これはある意味、ギャンブルでも一緒だと思いますよ。マネーゲームだろうと、後から説明がある奥野さんがやられているような、いい会社の株を持つ投資だろうと、リターンを期待してやるという意味では同じだと思います。

でもそれだけじゃなくて、アダム・スミスに言わせると、もう一つ「徳への道」、「利他心」みたいなものがあって、私は本来の意味での「投資」っていうのは、実は「利他心」も同時に追求しているんじゃないかと思うんです。何故なら、私たちがお金を出すことによってある企業が事業活動をすることができて、その企業が世の中に新しい商品やサービスを提供して、それによって回り回って世の中が良くなれば、私たちも投資のリターンが得られる。

その意味では「利己心」だけを追求しているわけじゃなくて、世の中を良くするために投資をしているという面もあるんじゃないかなという風に思うんですよね。それがもし「利己心」だけだったら、きっと儲けすぎだとか、あるいは儲け方が利己的だということで、人から非難されたり、あるいは自分でも手段を選ばずにどれだけたくさんお金を儲けたとしても何か虚しいんじゃないかなという気がするんですよね。アダム・スミスもそんなことはダメだよって言っている訳です。

私はギャンブルはやらないから分かんないですけど、ギャンブルでものすごく大儲けしたとして、その喜びというのは永続するものなんだろうかって疑問に思うんですね。あるいは宝くじに当たった、本当にそれでずっと幸せなのか?宝くじの高額当選者の多くが結局不幸になるみたいな話もありますよね。私はその感覚はちょっと分かる気がします。

だから、アダム・スミスが言っていることはよく分かるし、彼が言っていることこそ本来の意味の「投資」なのかなと思っています。その答えは、今からその道のプロに答え合わせをして頂ければと。奥野さんが考える投資、そしてギャンブル的なマネーゲームとの違いというのを若干詳しめに、知らない方が多いという前提でまずお話してもらっていいですか。
ちなみに今の話はどうですか。私の考え方、アダム・スミスの言っていることが、本来の投資の意味に近いっていう点について、まず単純にどう思われますか?

奥野:同意ですね。

小川:これは心強いですね。

オーナーになる投資

奥野:だけど若干違うと感じたところもあって、それはまた後で説明します。

小川さんはマネーゲームという言葉を使われましたが、みんな投資というと株券の売買だと思っているわけです。それは投機です。投資というのは、投資先の所有権を持つ、オーナーになるという行為です。

今買って3ヶ月後に売ります。もっと言っちゃえば3秒後に売りますっていうのは、実は自分の買った値段よりも高い値段で買ってくれる人を探しているだけのゲームです。そこには所有権がどうのっていう概念は全くない。でも所有権っていうのを考えると、全然違う話が見えてきます。

皆さん、例えば農地に投資をする時に最初に考えることは一体何でしょうか?まず、その農地からどれだけのお米が取れるかっていうことを第一に考えますよね。今5000万円で買った農地が3ヶ月後にいくらで売れるかみたいなことを考える人っていうのはおそらく皆無だと思います。この農地から一体どれぐらいの米が取れて、どういう風に生産を改善したらどれだけ収穫が増えるか。5000万円投資して500万円分収穫できたら10%のリターンですよね。もうちょっと頑張って700万円収穫すればもっと利回り上がりますね、これが投資です。そこから一体何が生まれるのかということを考えるのが「投資」なんです。この土地がいくらで売れるかというのは投機です。

ここまではたぶんみんな普通に頷いてくれると思うんですが、何故か企業の株式を買うってなった時に、ほとんどの人達は毎日の値段の上がり下がりに一喜一憂して、いくらで売ろうかって、もうそればっかりになるわけですよ。株式いうのは企業の持ち分です。株式を買うということは、その会社の所有権の一部を持つということです。実は農地を買う時と一緒です。ということは、農地を買う時にお米がどれだけ取れるのかということが、この企業がどれだけ利益を上げるかということに相当します。これを考えるのが投資です。

つまり、株を持つということはその企業のオーナーになるということです。最初にお話させて頂いた通り、実は利益を上げるということは汚いことでもなんでもないです。実はちゃんとお客であるとか社会であるとか、そういったところに価値を提供した対価、「ありがとう」が利益です。その利益が最終的にはオーナーである皆さんに返ってくるということなんです。

今日お伝えしたかった大事なことが2つあります。一つは株券を持つということはオーナーになるということ。それから、オーナーが儲かるということは一体どういうことかというと、その企業が製品やサービスを通じて社会に価値を提供した結果だから、社会もちょっとずつ良くなっているということなんです。儲かり続ける会社に投資をするということは、世の中を良くし続けることができる企業のオーナーになって、その対価をもらい続けるということなんです。

更に面白いことに、例えば日本電産の株を買ったら、日本電産の永守さんって結構有名な経営者で、一代で4兆円の会社を築き上げた超すごい人なんですが、そういう人が部下になって働いてくれるんです。これってすごいことだと思いません?そういう風に考える人ってあんまりいないですよ。

ちょっと違う言い方をします。アメリカの大企業の経営者だと、年収20億円くらいもらっている人がざらにいます。20億円っていうのは250日、8時間で換算すると時給100万円です。普通の人がアルバイトしたら時給1000円ですね。でも、10000円くらいあれば、アメリカの大企業、例えばウォルト・ディズニーの株を買うことはできます。

これは一体何を言っているのかというと、時給1000円の人が時給100万円の人を部下として使うことができるんです。と同時にミッキーマウスが世界中で踊ってくれるわけです、あなたのために。さっき言ったようにディズニーランドに2人で行くと結局30000円くらい払うわけですけど、その一部を取り返すことができる。あなたが払った分だけじゃなくて、世界中の人が払ったお金のうちの一部、それは何億分の1かもしれないけれども、持ち分に応じてあなたにチャリンと入る。これが株式投資というものです。しかも、最終的には社会も良くなっていく。

私たちは資本主義社会に生きています。資本主義社会に参加する方法は3通りしかないんです。一つ目は、労働者として働くという形。私も皆さんも、ほとんどの人は労働者として社会に参加しているわけです。もう一つは資本家です。要は人を働かせるという形です。で、三つ目の形は何かというと、働きながら株主になる形です。

戦後から1960年代くらいまでの日本人は、労働者として参加することしかできなかったんです。戦争で負けて焼け野原になったわけですから、身体しか売るものなかった。だけど、今や個人の金融資産が2000兆円もあるんですよ。そのうちの53%が銀行に預金されて何も生んでいないわけです。これはもう僕からすると、先進国の人間としては義務違反なんです。もっと世界を良くする力を僕たちは持っているんです。

これは別に「もっと前向きに考えましょう」とかそういうくだらないことを言っているわけじゃないんです。事実そうなんです。なんでその力を使わないのか、という話なんです。なので、さっきの話でアダム・スミスが言っているのは極めて正しい。

でも、僕の場合ちょっと違うって言ったのは何かというと、利己心を追求して投資をすることで、結果的に社会も良くなっているということです。僕は、利己心を中途半端に追求して、利他心も大事にしますみたいなことをやっても、恐らく両方ともうまくいかないと思います。たぶんアダム・スミスはそんな意味では言ってないんじゃないかと思うんです。みんながとにかく儲けたいと思って、知恵を振り絞って本当に儲かる会社を探す。本当に儲かる会社っていうのは社会に価値を提供しています。さっき小川さんも仰ったように、ずるい儲け方みたいなのはそもそも持続可能じゃないから、そんな会社は「オーナー」は選びません。そうやって会社がふるいにかけられて、きちんと儲けられる会社が生き残った場合は、結果的に社会にも価値が還元できているっていうのが資本主義の根幹なんです。

これこそが資本主義なんだけど、僕達は子供の時から資本主義についてきちんと教わってないんです。労働者になれ、とにかく言うことを聞く真面目な労働者になれっていう風に教わって育つわけです。その過程でお金は汚い、投資なんて泡銭だっていう風に思ってしまうわけです。こういうマインドセットを持っていると、貧困が遺伝してしまうんです。お金持ちの子供が、親のお金を相続することでお金持ちになるわけじゃないんです。人を働かせるというマインドセットを持っている人の子供は、自然とそういうマインドセットを持ちます。親がそうだから。適切なところにお金を配分して、人に働いてもらうことで、彼らもまたお金持ちになっていくのです。親のお金そのものがそのまま子供に移るわけではありません。

アメリカ人がどうして貧富の差がこんなに激しくなっていくか、これは明らかです。金持ちの人達はそういうマインドセットを持っていて、それを子供に伝えるので、その子供も金持ちになる。残念ながら、貧しい家庭に育つ子はそれを教えてもらう機会がありません。公的な教育制度がきちんとなくて、私的な教育機会しかないからです。でも、日本はパブリックの教育制度がちゃんとあるので、そこに「人を働かせるというマインドセット」をソフトとして入れることができれば、日本は割と簡単に本当の意味での先進国になれると思っています。

小川:なるほど。もう立ち上がっての熱弁、もう僕のお金全部預けますって言いたくなるくらいのお話でした。私もそりゃもっと昔にこういう話を聞いていたら、働き方が変わったかもしれません。新卒で就職して、それからずっと労働者として働いてきたわけですが、本来、選択肢はそれだけではないんですよね。

ただ、アダム・スミスと少し違うと仰った箇所はちょっと重要だと思っていて、アダム・スミスが利己心と利他心両方を追求することが大事だと言うけど、奥野さんは利己心を追求する中で、結果的に利他心にもなっているんじゃないかっていう風に言われましたよね。利己心と利他心を同時に追求したら中途半端になっちゃうと。アダム・スミスはそんなこと言っていないんじゃないかと言われたんですけど、私はどっちも正しいと思うんです。

奥野:すみません。きちんと理解できていないかもしれません。僕アダム・スミス読んだことないから。

小川:大丈夫ですよ。僕は奥野さんの言われることはその通りだと思うんですけど、それは結局利他心というものをどう考えるかですよね。「自分を犠牲にしてでも人にあげる」みたいな利他ではないんですよね。アダム・スミスが言う利他心っていうのはもっと壮大で、世の中を良くすることなんですけど、それがひいては自分にも返ってくる。そういう発想ですね。そういう利他心であれば利己心に見えるかもしれませんよね。だって僕らが働く時だって、お金のためだけにやっているわけじゃなくてやっぱり社会貢献という気持ちもあったりして、でもその社会貢献したいという気持ちも利己心とも呼べるし利他心に見える場合もあるわけでしょ。

だから、ここでアダム・スミスがって言ったのは、私は利他心という言葉で説明しましたが、自分の目的がただお金稼ぐというだけじゃなくて、その先に世の中を良くしたいっていうような思いがあるということですよね。私は、それを利他心って呼んでいいんじゃないかなという風に思うんです。利己心と利他心は両立するんじゃないかということですね。まさに奥野さんの投資に当てはめたら両立しているわけですよね。自分が株に投資をして、その企業のサービスによって、社会全体が良くなる。その恩恵を私も受けるわけですから、そういう意味では利他心のつもりでやったものが自分にとってもプラスになっているというところが出てくるわけですね。

世の中の問題を解決する企業

奥野:投資先の選び方についても質問があったので、少し具体例でイメージしてもらいたいと思います。例えばNIKEっていう会社あるじゃないですか。今年の駅伝とか見るとみんなピンクの厚底シューズ履いていましたよね。あのヴェイパーフライっていうシューズを開発したのがNIKEです。元々マラソンをする人っていうのは薄底がいいっていうのが常識だった訳ですけど、底にカーボンプレートを入れることで反発力と持続性を追求した結果、80%以上のランナーがそれを選びました。

僕達は良い会社を選ぶときに3つのポイントがあるという風に言っています。まず、「付加価値の高い産業」。と言うと難しい感じがするんですけど、それって世の中にとって必要なんですかということです。NIKEがなかったらアスリートが困ります。だってスポーツシューズの世界シェア3割以上ですから。ヴェイパーフライを開発することで、アスリートの問題を解決しているわけですよ。できるだけ速く走りたい、楽に走りたい。開発にものすごい時間とお金を掛けて付加価値を作ったわけです。二つ目が、「圧倒的な競争優位性」。例えばコカ・コーラの話で言うと、コカ・コーラの向こうを張って炭酸飲料を作ろうなんていう人は世界中にもういないんですよね。それぐらい強いのか?っていう観点です。スポーツシューズで世界規模でNIKEと張り合えるのはadidasだけです。それぐらい強くなった。3つ目が、「長期的な潮流」。みんな健康で長生きしたいですよね。だから今マラソンの人口ってものすごく増えているんです。この3つが全部重なった会社、そういうビジネスを見つけちゃったら、その株を売買する必要なんてないんです。ただ、持っていればいい。結果どうなったかというと売上高も利益も右肩上がり、株価も短期的にはコロナ・ショックだなんだで下がるかもしれないけれど、長期的には結局右肩上がりになっています。これが本当にいい会社っていうことなんです。

社会の問題を、その会社しかできないやり方で解決している。しかもそれが人類の歴史の中でずっと続いていく。もちろんそれは仮説です。その仮説を僕達は一つ一つ丁寧に確認していきます。実際にNIKEに行って、施設を見せてもらって、NIKEに行っただけではよく分からないから、わざわざドイツのadidasにまで行って同じようなことをして、本当にNIKEは強いのかということを確認して帰ってくるわけです。その結果を、NIKEのオーナーである最終的な僕達のファンドの投資家さんにご説明します。実は僕自身もファンドに投資していますから、僕自身もオーナーなんですけども。

オーナーは何を知りたいかって、日々の株価じゃないはずなんです。さっき言った3つの条件の仮説が成り立っているのかどうかということを確認したいわけです。例えばイタリアンレストランを所有しているオーナーであれば、自分の店の味が落ちていないかとか、すぐ隣にフレンチレストランができたらどう影響が出るかとか、そういうことはやっぱり報告してもらいたいですよね。株券の売買をするだけだったらあんまり関係ないですよね。オーナーだからこそ、そういうことを知りたいはずだと思います。だから、きちんと世の中に価値を提供できる企業、本当にいいビジネスを選ぶっていうことなんだろうなと。オーナーになるっていうのはそういうことです。

小川:ありがとうございます。いま仰った「構造的に強靭な企業」で、NIKEとかコカ・コーラとか確かに伝統もあるし圧倒的な競争優位性があって、付加価値が高いことやっているなって思いますけど、新しい企業だとなかなかそれ分からないですよね。そういうのは当てはまらないですか?

奥野:そういう意味で言うと、例えばスポーツウェアでUNDER ARMOURっていう会社が割と最近出てきて、ちょっと流行った時期もありましたが、UNDER ARMOURがNIKEに勝てない理由は最初から決まっているんですね。規模の経済といって、たくさん作っているやつが一番コストが安くなるんです。逆に言えば、トップシェアの会社は、他社が決してできない規模で投資をすることができます。開発とかマーケティングですね。これに勝つにはよっぽどの何かがないと無理なんですよ。だからそれが崩れないという仮説を、実際のところ本当にそうなのかっていうのは誰にも分からないのですが、僕達は分析をしながら、きっとそうじゃないかという仮説を持っています。

小川:そういう意味では問題解決している企業っていうのが一つの指標にあるのかなと思っていて、私はプラグマティズムというのをよく物事を考える上での物差しとして上げています。プラグマティズムというのは、要は知識なんて道具に過ぎないという発想なんです。何のための道具かというと、問題解決するための道具。世の中の問題解決をしようとしている組織、個人って、やっぱり成功しているわけですよ。

アメリカではそのプラグマティズムという思想が非常に人気でして、もともとアメリカ発の哲学だし、アメリカ人って何もない所から開拓して問題解決をして、知識をただ振りかざすんじゃなくて、実際に問題を解決するための道具として使いながら成功した国ですよ。だから、アメリカでは成功者はみんなプラグマティストだって言われるんですけど、スティーブ・ジョブズとかよく名前が挙げられますね。そういう風に考えると問題解決をちゃんとやっている企業が良い企業だって言えるんじゃないかなと今の話を聞いていても思ったんですが、それはやっぱりそうですか?

奥野:その通りです。

小川:だから日本の場合でも、やっぱり成功している企業というのはきちんと問題解決できている企業で、ただ従来の成功モデルを真似しているだけの企業はそれでなんとかお金になる時代は良かったけど、今淘汰されている。ご質問でアメリカと日本でポイントは違うんでしょうかとあったんですけど、そういう意味では一緒ですね。

奥野:一緒です。日本も先進国ですから、他の国の成功例を真似て、より安い人件費で作るというかつてのモデルはもうとっくに通用しません。もっと言っちゃうと、お客の問題を解決すると言っても、普通お客は自分の問題を分かっていません。そこに本当に問題があるのかすら、実は自分では分からないんです。だから、実は問題を発見してあげることが一番大事なんです。そういう意味でも単純にモノを作るだけの製造業の時代は終わっています。

これはビジネスパーソン個人にも言えます。自分が話している顧客がどんな問題を抱えているんだろうっていうことに思いを馳せなければ、その人から言われたことを普通にやっているだけでは問題解決とは言わないんです。だからそれをちゃんと考える上で、産業構造がどうなっているのかとか、競合企業はどうなっているのかといった、投資の目線ってすごく大事だと思っています。

小川:ですから投資家もそうだし、企業も、あるいはそこで働くビジネスパーソンもそうですが、問題発見をちゃんとできるところはやっぱりすごいわけですよね。プラグマティズムってそこから入るんですよ。問題を発見して、色々試しながら解決していくという考え方です。奥野さんはプラグマティズムって意識されていますか?

奥野:もちろん。プラグマティズムという言葉そのものは知りませんでしたが、顧客や社会の問題を見つけて解決することこそが、企業の存在意義だと思います。企業は働いてお金をもらう場所ではありません。社会の問題を解決しようという時に、一人だったら解決できないからみんなで一緒にやろうといって作ったのがCompany(仲間、会社)ですから。

それこそ東インド会社だって、ヨーロッパにないものをアジアから運んでくることで多くの人の問題を解決できる、でも自分で航海はできない、だから会社を作ったわけです。これが資本主義の発祥であって、別に労働者が働くために企業があるわけではありません。そんなこと言い始めたらそれこそ社会主義ですよ。だから日本企業が今落ちているんです。

リスクとリターン

小川:よく分かりました。あと一つ投資のことで最後にお聞きしたいのが、リスクの話。これも質問があったので、ちゃんとお答えしていきたいと思うんですけど、一般的にローリスク/ローリターンあるいはハイリスク/ハイリターンって言われますよね。その辺の見極めをどうしたらいいでしょうかっていう質問があったんですけど、奥野さんがやられているような投資はローリスク/ローリターンみたいなイメージがあるんですけど、投機に比べて。それでいいんでしょうか?

奥野:そういう意味で言うとたぶん二つに分けて考える必要があると思っていて、投資商品としてリスクリターンがどうかという話と、皆さんがやる投資としてそれがどういうリスクを持っているのかっていう二段階があると思っています。どちらが大事だと言ったら後者なんです。結局リスクを取るのは皆さん自身なんですよね。皆さんが人生においてリスクをどの程度取れるのかということがあって、初めて金融商品の話になるんですよ。リスクを取れない状態の人はそもそもリスクのある投資をやっちゃいけないんです。何を言っているかというと、自分がある程度、例えば1年間働かずとも生きていけるんだってくらいの貯金がある人は、その残りの部分というのは全部リスク資産に投資したって全然構わないと思います。

まず皆さん自身がリスクを取れるのかという議論があって、その後でじゃあ僕達の投資がローリスク/ローリターンなのかっていうと全然違います。僕らは少なくとも見極めていますから。この会社が利益を出し続けるのかどうか。人がどう思っているかなんか関係ないです。他の人がその会社をいいと思っているとか悪いと思っているとか、今の株価にどこまで織り込まれているとかいないとか、はっきり言ってどうでもいいです。短期的には確かにそういうことで株価が動いてしまうのですが、長期的に考えれば、その企業が僕達が考えている営業利益を稼ぐことができていればいいだけですから。利益が出れば必ず価値が付いて、いずれ株価もそれを反映するのはもう数学上明らかですから。だから長期的にはそれなりのリターンは必ず出せると思っています。現にそれで10数年やっていますので。

小川:つまり、ローリスク/ハイリターンっていうことですか?

奥野:リスクを分かっているという話でしょうか。リスクを分かっているから怖くないということですかね。ハイリターンなのかっていうことは人の捉え方にもよるでしょうね。

小川:ちょっと分かりにくいんですが。

奥野:例えば全くリスクのない米国債を買うと、毎年1.数%もらえます。僕たちの投資対象は株なので、毎年決まったリターンが出るわけではありません。そういう意味でリスクはあります。

一方で、アメリカの良い会社であれば利益の成長が普通に10%内外ぐらいあります。論理的にはという話になりますが、もし価値と価格がきちんとしたメカニズムで動くのであれば、長い目で年率10%程度期待しても全然おかしくないと思います。

小川:そういう意味では貯金とかに比べたら全然いいですよね。

奥野:貯金なんてありえないですよね。貯金というのは、自分が働けなくなったときとかに備えてとにかく絶対減らしたくない金額以外はやる必要なし。

小川:分かりました。帰っておじいちゃんおばあちゃん言ってあげないといけないですね。箪笥に貯金している人いっぱいいますからね。私は今のお話も受けて、こう考えています。奥野さんがやられているような投資は明らかにローリスク/ハイリターンだなと私は思います。

それはもちろん何をリスク、何をリターンと捉えるかということで変わってくるわけですけど、さっきのアダム・スミスじゃないですけど、リターンって別に自分が投資したお金が何倍になるかという話だけじゃないと思います。

アダム・スミスみたいに、あるいは奥野さん達みたいに、自分の投資が社会を良くしているんだと考えたら、社会が良くなって自分もその恩恵を受けるわけですから、それも含めてリターンだと考えれば、これはもうものすごいハイリターンですよ。

そういう風に考えればいいんじゃないかと思うんですね。お金として返ってくるものは仮に10%とかいかなくても全然いいじゃないですか。だけどそれで世の中が良くなって、そのサービスを今受けられるんだっていうことまで考えれば、十分ハイリターンと言って自分の中ではその投資に満足できると思うんです。ちょっとこれオヤジギャグじゃないですけど、正にリターンは利他心の「利他―ン」。

奥野:そういう作戦ですか。

小川:そうです、絶対言おうと思ってた(笑)

奥野:そういうことだったんですね。利他、利他ってさっきから(笑)

(次回につづく)