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友達だから仲良くしなきゃいけない、恋人だから愛さなきゃいけない、家族だから大切にしなきゃいけない、なんて必要は全然ない。

こちらは友達だと思っているけどあちらは本当に友達と思っているのだろうか、恋人だから尽くしたり知ったりさらけ出したりするべきだろうか、どんなに相性が悪くても家族は選べないから関係していなくちゃいけない、といった関係性に寄せた悩みや思いこみはすべて呪いだ。

もともと人間関係は不変じゃない。喧嘩をすれば仲が悪くなるし、魅力を感じなければ退屈になるし、自分が不利益になるような要求をする相手の要求なら拒否をする。つまり、関係性の型(友達、恋人、家族等)が先にあって関係すること自体が目的化している関係性というのは歪だ。

しかしながら、そういう関係性に囚われている人は少なくない。なぜかと言えば、やはり人と関係していると錯覚できれば、居場所や他者を求める権利を得られると感じるからではないか。自分が誰かに友達や恋人や家族として必要とされていたら、逆に誰かを必要とすることができる。相手と関係する要件を満たすべく何かを捧げれば、捧げたかわりに要求することもできる。それはすべて関係性を維持するためにある。

もちろん、関係性があるというだけで幸せだと感じることもあるだろう。ただ、その幸せが呪いによる幻覚だとしたらどうだろうか。まるで仮想現実で見せられている実在しない風景に感動させられているような状態だと自覚しているのだったら、いつまでもそこにいるべきではない。現実に戻された瞬間、存在しない人間と遊んだ夢から覚めたときのような喪失感に襲われる。

友達でも話が合わないなら無理して会わなくていい。LINEも返す必要はない。SNSで繋がって近況を確認する必要なんか微塵もない。会いたくなったときに声をかければいいし、関係していなかった期間の話を会った時の楽しみにでもすればいい。

恋人でも魅力的に思えないなら愛さなくていい。憎んでいるなら憎めばいい。不用意に傷つける必要はないけど、ご機嫌とりをする必要もない。書面上の契約をしているわけではないのだから、互いの規範や行動を信じて一番居心地の良い距離感でいればいい。知らない誰かの言う理想的な条件も、恋愛ドラマや漫画の模倣も必要ない。結果的に互いが必要である限り、求めたり求めに応えたりすればいい。

家族でも自分を縛りつけているなら離れればいい。物理的に離れられないとしても精神的に離れたらいい。与えられた環境や影響を受けた思想には自覚しつつ、自分のことは自分で選択していくべきだ。親はだいたい自分より早くいなくなるので後悔する前に孝行したけりゃすればいい。

どんな関係性でも、結果的にその形態になるならそうであればいい。その形態であることが望ましくないのであれば維持する必要はない。関係性があることが不幸になるのなら断ち切ればいいし、断ち切りたくないなら自分で更新していけ。誰かに施されることに甘えるな。お前はお前が施したくなる相手に施して、それが結局は後から友達とか恋人とか家族という関係だったのだと気づけばいい。

最初から変わらない関係なんて用意されていない。変わったとしても関係していた事実があれば、それは友達や恋人や家族だったのだろうし、変わることを受け止めたからこそ揺らぎのある関係の尊さが輝くのだと思う。

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