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あの頃の記憶とこれからの記録 #5

Hは約2週間だけ、隣の席のTと付き合った時期がある。それはちょうど自分とHが席が前後のときだった。

夏休み直前、一学期のテスト週間には部活動が一旦休止となる。早く帰る奴もいれば学校に残っているやつもいる。勉強をすることもあるが大概は駄弁って終わる。自分がそろそろ帰ろうと席で荷物をまとめているとき、教壇の近くでTと友達が話している声が聞こえた。
そこでTはHのことが好きらしいと知ることになった。いろいろな考えが浮かび、そして消えていった。当然そこで声をあげ、自分もHのことが好きなんだよと言うこともできたと思う。
しかし次に浮かんだ考えは、Hはなぜ自分やTのような老け顔の人間に好かれるのだろう、とかわいそうに思うことだった。Tは太っていて、成績が悪くて、サボりや遅刻、宿題忘れなどを頻発させていた。ただ憎めない性格をしていて、自分もTとは友達だったし、わりと好きなタイプだ。
それでもTは、Hとはとても釣り合わないと思った。Hは学年一に成績がよく、性格も明るく、陸上部では短距離をして県大会にも行く、文武両道才色兼備のスーパーマンだ。
人は自分にないものを恋人に求めることもある。そういう意味ではTはHと正反対の人間で、そういう意味ではお似合いなのかもしれない。

そこでハッと気づいた。自分はHに見合う人間なんだろうか。背は小さく、文化部で、成績は普通。自分は彼女になにを提供できるのだろうか。もちろん、デートに行くことになればめちゃくちゃに準備するだろう。ご飯や遊び、どんなものも事前に調べ、初回のデートなんかは下見にも行くかもしれない。おしゃべりは苦手だからどうしようか。Hも自分から話を振るようなタイプではない。話しをしなくても気まずくない関係がいいなんてことを言うが、それはお互いのことを知り、絶対に味方だと安心できる関係を築き上げた後のことだ。
自分はTに声をあげることなく、その場を後にした。


夏休みの宿題の読書感想文で、その年は夏目漱石のこころが課題図書だった。自分は三角関係について書くことにした。私小説なのだから、読み手も私情を挟みながら読んでもよいだろうという魂胆だった。こころのなかでの人物たちの行動はこうで、読み手である自分の状況はこう、それを踏まえて自分がハッピーエンドを目指すとき、どう立ち回ったらよいのだろうか、そんなことを綴った。夏休みあけ、国語の先生にはお前のはおもしろいけど文集に載せられないよと言われた。載っていたら今頃ものすごい黒歴史になっていたと思う。先生には感謝をしている。久しぶりに読書感想文を探して読んでみたが、それはそれはひどいものだった。


HとTは程なくして別れた。理由は知らない。TがHへの引け目に耐えられなくなったというのを、本人は言っていた。おそらく付き合ったときには何もしていない。高校生のお遊びの恋愛の範疇だったようだ。それからはHとTは友達に戻り、自分も含めたグループでも引き続き友達であり続けた。

自分の思いを伝えないまま、高校を卒業した。Hは現役で医学部へ。自分は浪人生活をスタートさせた。
一年後、無事大学に通いだしてもHのことが完全に頭から消えることはなかった。

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