優しさは愛じゃない ならいらない
真夜中乙女戦争のページのすみっこに、そう書いてあった。
勝手に他人に期待して、勝手に腹が立って、勝手に疲れている自分に耐えきれなかった。期待するのをやめよう。どうにもならないし。そう思っていた時に、この言葉に出会った。
あの時は傷まみれだったと思う。
他人に期待しなくなって、他人に興味が無くなった。周りが気にならなくなったと同時に、自分勝手さと孤独に押し潰されそうだった。
そこから抜け出すために、少しずつ、他人に期待してみようと思った。本当に慎重に、慎重に。
その中で、この人になら期待していいかな、期待したいな、期待させて、!。そう思える人ができた。
でもね、現実そう甘くない。
私の現実はいつもほろ苦い。
いつから他人の優しさを、愛されてると互換してしまっていたのだろうか。
世の中には、自分が幸せになるために、他人へ優しくする人が一定以上いる。
幸福感を得るために、私に優しくしてくれていたんですかね?
私は確かに優しくされて嬉しかった。これは愛じゃないんですかね?
相手のことが好きで愛している時って、感覚が麻痺しちゃうし錯覚しちゃうんだね。
愛じゃなくて、これはただの優しさ。私が好意抜きに客観的に見て分かったことは、それだけだった。
最後に残ったのは、空虚で孤独な私ひとりだった。
正直、たとえ裏切られてもいいと思っていても、怖いものは怖いし、期待するのも怖い。愛を知ったあとの孤独ほど、辛いものはない。
孤独の辛さを知って涙が止まらなかった夜、私は幸せから不幸せに堕ちた。
疲れちゃったんだね。自分から幸せに突き進むのは、当分は無理そう。
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