ミスミソウは復讐劇じゃない!“ジェイソン”による殺戮劇だ!!【完全考察※ネタバレ・グロ注意※】
『ミスミソウ』の冒頭あらすじは大抵、以下の通りに説明されていますが、
これは間違いです!
この記事では「これは復讐劇である」と読者がミスリードするように狡猾に仕掛けられた叙述トリックを紐解き、『ミスミソウ』という漫画は悲しい復讐劇ではなく、恐ろしい殺戮劇(大津馬中学校同時多発“八つ当たり”事件)であるということを解説していきます!
(完全版に収録された書下ろし部分は省く)
あと分かりやすくするために『13日の金曜日』を交えて考察します。
『13日の金曜日』のジェイソンってどんな奴?
ジェイソンは元々、顔面に先天的な奇形を持っていた少年です。
11歳のジェイソンはクリスタルレイク湖で開催された大規模なキャンプに参加しましたが、顔面の奇形に嫌悪感を持った少年少女たちにレイク湖に突き落とされるという災難に見舞われます。
ライフセーバーたちは恋愛に夢中でそれに気付かず、ジェイソンは泳ぐことができなかったためにそのまま溺れ死んでしまいました。そして何故かパート2で、実は生き延びてレイク湖に住み着いていたことになりました。
レイク湖で自分を殺したやつを探すためにモンスターとして復活したのではなく、ジェイソンはレイク湖の近くにいた奴を問答無用で殺すモンスターになったのでした。
●ジェイソンの殺害動機
「たまたまキャンプイベントにいたキモい奴」という理由でいじめられていた少年が、「ただそこにいたから」という理由でキャンプ場に来ていた青年たちを殺害するようになった様を描いたのが『13日の金曜日』です(2作目以降)。
つまりそれは呪いという名の「八つ当たり」です。
この記事のキーワード「八つ当たり」。
頭の片隅に置きながら読んでいただければと思います。
『ミスミソウ』の登場人物たちは頻繁に「自分は悪くない」「お前のせいでこうなった」と責任をなすりつけ合います。
もうお気づきですね?
『ミスミソウ』の登場人物は全員ジェイソンと同じ性質を持っている。
殺害動機の本質
ジェイソン → 八つ当たり
『ミスミソウ』 → 八つ当たり
そしてそれは野咲春花も例外ではありません。
野咲春花の“八つ当たり”
ミスリードさせるために貼られたトリックを紐解く、最初の重要ポイントは野咲春花が泣いたタイミングです。
包帯で覆われた妹をガラス越しに見ていた春花に
「お父さんが…祥子をかばうように抱きかかえていたそうだ」
と祖父が話しかけると、春花はぽろぽろと涙をこぼした。
この場面で読者は「野咲春花は絶望・喪失感に苛まれているのだな」と推測すると思います。
この涙がラストまで続く伏線であり、トリックでもあることに気付かず、そう推測してしまうのです。
ここでは一旦、考察を止めます。
ラストの伏線回収の場面を解説する際にここも合わせて説明しますね。
二つ目の重要ポイントは殺人の順番です。
初めての殺人:橘吉絵 + 三島ゆり + 加藤理佐子
帰路での殺人:久賀秀利
この二つの出来事は、放火に加担したことを橘吉絵が自白したことと、加藤理佐子が「久賀くんのせいなの」と名前を出した直後に当人(久賀)が春花の目の前に表れた、という状況から「復讐をする大義名分がある」と整合性が取れているように読むことができてしまいます。
しかし二つの出来事に共通する無計画という要素は整合性を破壊します。
初めての殺人では、その場で拾い上げた釘を使って突発的に殺人を行った。
帰路での殺人ではたまたま鉢合わせた人間に話も聞かず包丁を向けた。
一般的な復讐劇では復讐を確実にするため、綿密な計画を立てるのがセオリーですが、『ミスミソウ』では春花が計画を立てるシーンはありません。
また殺すためにクラスメイトの元へ、自ら出向いたこともありません。
春花はクラスメイトを皆殺しにしようとしていない。
つまり復讐をする気が無いと考えられるのです。
構図に”復讐心”が描かれていない
春花の殺人に大義名分が無いことはコマの構図にも顕著に表れています。
まず例として次の『ワンピース』78巻の1シーンを見てください。
このページはドレスローザ王国の英雄キュロス(パネル1:剣を振り下ろす黒髪の男性)が亡き妻スカーレットの仇(復讐をする相手)であるドンキホーテ海賊団の幹部ディアマンテ(パネル2:斬撃をくらう派手な服装の男性)を打ち倒した場面を描いたものです。
次に『ミスミソウ』の4つのシーンを見てください(グロ注意)。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
それぞれ野咲春花がクラスメイトに危害を加える場面です。
実はこれらと『ワンピース』の場面は、ほぼ同様の状況なんですよ!
凶器たり得るもの物を使用し
相手に致命傷を与える行為の最中
という状況なのです。
でも同じには見えませんよね?
『ミスミソウ』と『ワンピース』のページを見比べて分かる通り、『ワンピース』にはグロさが無い。
だから同様の状況であると認識することが難しいわけです。
ではなぜ『ワンピース』はグロさが感じられないのか。
それは危害を加えている場面が描かれているコマ内で危害を加える側の顔が描かれているからです。
もっと正確に言うと『ワンピース』ではAがBを倒したという情報にフォーカスが当たり、『ミスミソウ』ではBが致命傷を加えられたという情報に フォーカスが当てられています。
構図の中に大義名分を描くか、描かないか、という違いが二つの作品から見て取れます。
もし『ワンピース』にて、キュロスの顔を描かずにディアマンテの胸にぱっくりと開いた裂傷を描いていたらグロさ満点になります。
もし『ミスミソウ』にて、野咲春花の顔も描いてクラスメイトが後ろへ倒れていく瞬間を描いていたらグロさはほとんど感じられなくなります。
これは純粋に読者に与える印象を構図によって操ることができるという表現技法としての凄味、効果を示している説明と受け取ることもできます。
しかし今回はそれ以上に、作者はなぜこの構図を選択したのか、という作者の意図を汲みとる情報としての構図を理解していただきたい。
尾田栄一郎がこの構図を選択した意図は「キュロスが積年の恨みをようやく果たすことができた場面なのだからキュロスに花を持たせたい」というものであると考えられます。
では押切蓮介がこの構図を選択した意図はなんだったのでしょうか。
それは「このシーンは復讐ではない」と強調するためです。
復讐には大義名分がつきものです。というより大義名分がない殺人を復讐とは言えません。
ゆえに復讐劇の作品は『ワンピース』が用いた構図、グロさが無い構図・大義名分が描かれた構図を選ぶしかないわけです。
これが指し示す一つの回答が
野咲春花は復讐をしていない
というものなのです。
じゃあなぜ殺したのか。
何度でも言いますが八つ当たりです。
じゃあ何の八つ当たりをしたのか。
それを解説していきます。
妹への嫉妬
最後の重要ポイントは相場晄が撮影した野咲・父と妹の炎上写真を春花が見た場面です。
この場面の直後、写真を見つめる春花に相場が言い訳を並び立てていると、唐突に春花が叫ぶというシーンが描かれます。
この叫びを
「自分の味方だと信じていた相場晄に裏切られ、だれも信用ができなくなった」
といった具合の意味で読者は捉えると思います。
これは間違いです。
先に答えを書きます。
野咲春花は、家族に可愛がられる妹に嫉妬していた。
第0話で描かれた、引っ越しの様子にて
と引っ越しの理由は、父と妹のためだと語っています。
しかしこうして付いて来たせいで、大変ないじめにあったのだから、
「あんたたちのために来たらこんな目にあった。あんたらのせいよ!!」
といじめられているのは2人のせいだと、父と妹に八つ当たりすることだって春花にはできたのです。
しかし春花はそれをしませんでした。
というよりもする前に、我慢の限界を迎える前に、父と妹は死んでしまったのです。
父が学校へ遥香のいじめについて話を聞きに行った日に、
と春花に言います。
もしかしたらこの時の言動が春花には、
父「全部自分のせいだから祥子は関係ない」
と妹をかばっている
ように春花には見えたのではないでしょうか。
最初の重要ポイントとして挙げた野咲春花が泣いたタイミングは
と祖父に言われた時にでした。
最後の重要ポイントとして挙げた、相場晄が撮影した野咲・父と妹の炎上写真を春花が見た場面の叫びは、父が妹をかばっている様子の写真を見た瞬間に発せられました。
つまり野咲春花はその時、
野咲春花
「なんでお父さん、私じゃなくて祥子を守るの!!??」
と思っていたと考えられるのです!
そして彼女が涙を流したり、怒りの言葉を口にしなかったのは、家族を愛していたからです。
春花は父と妹を愛していた。
だから八つ当たりしたい衝動をぶつけたくなかったし、ぶつけるべきではないと理性では分かっている。だからこそいじめに耐え抜いてきた。
卒業するまで耐え抜けば、引っ越してくる前と同じように純粋に家族を愛せるはずだと春花は考えていた。
しかし愛する対象も失い、八つ当たりする対象も失った春花は途方に暮れる。
そんなときに釘を見つけてしまったのです。
春花(そうか。こいつらに八つ当たりすればいいんだ)
野咲春花は復讐のために人を殺したわけではありません。
父と妹にぶつけたかったストレスを、クラスメイトで発散するために殺したのです。
そしておそらくですが春花は
「なんで祥子が生き残ってんだよ。パパとママかえせ」
と心のどこかで思っていました。
なぜ私がそう勘繰るかには証拠があります。
ラスト野咲春花は祥子(妹)から貰った三つ葉のアクセサリーを握りしめながら
と心の中で妹に謝っている。
ただ何を謝っているのかは明かされません。
その何かは「守ってあげられなくてごめん」かもしれないし、「死んだことをちょっぴり喜んでごめん」だったかもしれないのです。
個人的には両方だったと考えています。
愛憎の両方があったからこそ言葉にできなかったのだと思います。
抱いた感情が憎しみだけだったら、もっとすんなり八つ当たりをして苦しまずに済んだでしょう。
愛しさだけだったら、もっとすんなり助けを求められたかもしれない。
相反する感情を持ってしまったために、野咲春花はジェイソンのような化物になってしまったのです。
それぞれの家族 そして愛
ここまでは野咲春花を軸に考察を行ってきました。
ここからはそのほかのクラスメイト達に焦点を当てて考察をしていきます。
クラスメイトたちはそれぞれ家族に対して憎しみと愛を抱いています。
例えば、橘吉絵(釘で刺された女子生徒)は死に際に、
と回想する。
佐山流美(放火した人)は死に際、母の顔を思い浮かべる。
子供たちにひどい扱いをしていたはずの親たちも、学校に乗り込んで先生を問い詰めたり、遺体を見て悲しんだりしている。
相場晄(炎上写真を撮った人)は虐待されている母のために父を切りつけたりもした。
春花は晄を殺す直前、二人の思い出を浮かべた。
(ジェイソンの母親も息子を愛していたがために若者たちを殺していた)
実は彼らの関係にはしっかりと愛があったのです。
それなのに何かに八つ当たりをしなければやっていけなかった。
ここで相場晄の異質さが浮かび上がってきます。
なぜ彼はクラスメイトたちに八つ当たりをせずに、愛する家族を殴っていたのか。
次は相場晄とその他との違いを紐解いていきます。
他者への愛 他者からの愛
相場晄とその他の違いは愛する者を攻撃できることです。
なぜ相場光は殴るのか。
それは愛を確認するためです。
相場晄に殴られた直後、おばあちゃんは背中をポンポンと叩く。
これを彼は欲しているのです。
担任教師の南京子は死に際
と回想していました。
これは自分の教え子を代わりにしたということです。
愛を貰えるのであればだれでも構わなかった。
相場晄も愛が貰えれば誰でもよかった。
母親でもおばあちゃんでも野咲春花でも誰でもよかった。
つまり
愛の八つ当たり
というわけです。
繰り返しますが『ミスミソウ』とは八つ当たりの物語なのです。
愛が欲しかった。愛を感じたかった。
けど方法が分からなかった。
環境のせいでしょうか。親のせいでしょうか。
それとも自分自身のせいだったのか。
『ミスミソウ』という漫画は悲しい復讐劇ではない、と私は最初に書きました。
復讐劇ではないけど、この漫画にはとてつもない悲しさが漂っています。
この悲しさを生み出しているのは紛れも無く愛なのです。
与えられる愛に満足できず、与えられる愛に気付けず、与えられる愛を与えなかった。
<まとめ>
ここまで読んでくださった方々。本当にありがとうございます。本当にお疲れさまでした。頑張って書いた甲斐がありますよ、ほんとに。
ざっくりまとめるとこんなかんじになります。
長文に付き合っていただいてありがとうございました。
お疲れ様でした。
ぜひ『ミスミソウ』をもう一度、読んでみてください。
他にもこんな記事を書いています。よろしければどうぞ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?