甲子園の七イニング制、上から見るか横から見るか

甲子園7回制に猛反対…大阪桐蔭・西谷浩一監督がじっくり語る“決定的な理由”…早稲田実業の監督も困惑「新ルール決まるスピードが速い」(number WEB)

突如現れた夏の高校野球全国大会イニング7回制に対して賛否が多い、というよりはほとんど否定的な意見が多い。
私も一野球好きとして対岸の火事のような感覚で観ている。高校野球は「高校生がやっているから」という言葉にかこつけて言いたいことを言いすぎる大人が多い。そんなものに一々近付いていても仕方ないので軽く触れる程度にする。

個人的には七イニング制に関しては極力賛成側に立ってはいる。近年の猛暑を思えば正直理由もない限り屋外スポーツは避けてしかるべきであろう。それでもやるというのなら何かしら制限を設けていくほかない。
球児がかわいそうなんていう気はこれっぽっちもないが、一大人として外を一時間弱歩くだけでもへばるのに炎天下で二、三時間やらせ続ける事に賛同を取れない。私も野球好きである前にドラッグストアとはいえ人の健康にかかわる事で生計を立てている人間の一人だ。健康を害することを賛同する気にすらなれない。少しでも学生たちに酷な環境でやるよりは軽い状況でやってほしいと思う。

第一イニング7回規定は別に高校野球に始まったものではない。
JABAでは一部大会ですでに7イニング制を採用しているし(7イニングス制試合の特別規程(ルール)の制定について)、なんなら世界大会では7イニング制は別段珍しいものではない。WBSCも世界大会で7イニング制を採用している。(WBSC U-23野球ワールドカップは7回制導入で競争バランスも向上 国際野球の新時代へ)
都合のいい時だけ世界が、レベルが、と言い、都合のいい時だけ世界基準が、アメリカが、というのも野球の定番になりつつある。なんならそのアメリカでも高校野球は7イニング制が確認されている。(https://cdn1.sportngin.com/attachments/document/f438-2920853/VARSITY_BOYS_BASEBALL_RULES..pdfhttps://en.wikipedia.org/wiki/Baseball_rules)

世界的なスタンダードで見るとU-20のアマチュアで9イニングを行うほうが珍しい。また、日本という独自の気候も鑑みると真っ先に踏み切ってもいいのが日本の7イニング制であり、今とことん9イニング制を守りたい人々は何を守りたいのかよくわからないと思うほどだ。9イニングで高校野球のレベルが下がるという言葉を聞くたびにその7イニング制を採用しているアメリカのレベルが低いと言いたいのだろうか、という疑問は生まれてしまう。

私はどちらかというと、変化をするというのならば恐れずどんどんやってしまえ、という考え方が強い。殊更高校野球は保守的な思想を持つ人が多いためにやれることならどんどんやってしまえという気持ちの方が強めに出るのだ。
一方ですぐに「アメリカでは」「メジャーでは」という言葉を持ち出すのも嫌いだ。アメリカはアメリカで自分たちがしてきた経験を元に理論や考えを集積した結果大きな基盤になっていったものであり、それを持ってくるだけでおおいばりしている人々を見ると勝馬に乗っているだけと冷めた目で見てしまう。アメリカにも多くの失敗や成功に導けなかった例がたくさんありながらここまで来たのであり、それは日本もまさしくそうだ。
だから常に疑い続ける事、そして日本とアメリカの違いを吟味しながら現地にアジャストしていくことこそ大切なのだと思っている。

事実今回の七イニング制に関してもそうで、日本内外問わず多くの成功モデルがあるのにもかかわらず「伝統」という言葉でさばいてしまうのは好きではない。
「伝統」の言葉で思考停止しているだけではないのか、という意思のほうが強いのだ。

そもそも私は全試合甲子園でやる必要すらないと思っている。(今後も高校野球夏の大会は甲子園で行われるべきなのか高校野球大会は真夏に行うべきか)。
ベスト8から甲子園でそこまでは兵庫県各会場でもいいと思っている。むしろ地方活性というテーマで考えたらそういうやり方もありだ。女子高校野球だって近年こそ甲子園で決勝を、という考え方だが元々京都丹波市で行い続けていることを忘れてはならない(第28回 全国高等学校女子硬式野球選手権大会/丹波市)。
なんなら著者は決勝だけ甲子園という考え方のほうが「結局日本は甲子園に頼らないと高校野球と言えないのか」と不満気味である。
高校野球で言えば軟式野球はかたくなに決勝を明石市で行う。文化を形成していくというのはこういう事ではないだろうかといつも敬意を自分の懐からにじませてくれる。(第69回全国高等学校軟式野球選手権大会

「猫も杓子も甲子園で9イニング」
それを伝統と言ってしまうにはいいが、やはり社会人として現状を見てしまうと「今のままでいいのか」という疑問のほうが強い。
我々大人はクーラーの効いた部屋でテレビをつけながら炎天下の中でひいひい言っている選手たちを見ながらああでもないこうでもない、というのは醜悪に映ってしまうのだ。我々は高校球児と同じ立場にいて「頑張れ」の言葉だけで頑張れるだろうか。
生死のリスクも持ってしまうこの酷暑で「伝統」というのならばそんな安っぽいもの早々に捨ててしまえばいいとすら思う。どうして我々大人を楽しませるだけに高校球児が搾取されにゃならんのだ。今日日プロでもメジャーでも9イニングはおろか7イニングまで投げる投手すら減ってきているというのに。

そういうわけで七イニング制、私は賛成である。
それどころかベンチ数ももっと増やしていいと思うし、同じ県内なら選手を補強していい「補強選手制度」をやってみてもいい。なんならアメリカンフットボールみたいに打撃と守備は別働でもいい。むしろ球児に甲子園の土を一人でも多く踏ませたいならそうするべきだろう。強豪校になればなるほど選手になれなかったベンチ外が陣を形成して応援しているなんて冷静に考えたら異常なのだ。

高野連にはもっとどんどんやってもらいたい。
大人を楽しませるのが目的ではなく、球児を楽しませながら教育の一環としていくのが部活動として大切なのだから、球児のためになるならどんどんやればいいのである。

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