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高校野球という地獄変

1,様々な言葉が飛び交う高校野球

夏もそろそろ終わりだなあ、と思う瞬間がある。
それは気温が下がったとかそういう事ではない。
毎日SNSやニュースを騒がす「高校球児」や「高校野球の在り方」などの議論が活発になってくると夏も終わりだなあ、と感じるのだ。

投手の登板過多とか、高野連とか、もう大概聞き飽きた内容を今年も変わらずやっている辺りもう夏の風物詩と思うと同時に「暇そうねえ」なんて思ったりして多少羨ましく思ったりするのだが。
とにもかくにも夏もそろそろ終わりである。

夏の終わりを一番感じる瞬間は大抵「投手の登板過多」だろうか。
全国クラスの投手が連投をしはじめた時に「才能を守るべき」という論調で始まるのだ。「才能を守る」では聞き覚えが悪いので「高校球児の健康を守る」というところに至るのだが、大体名前が挙がるのは今年プロ候補になりそうな球児。無名の、プロ野球とはおおよそ関係なさそうな投手の名前が挙がる事はほとんどないと言ってもいいだろう。
高校野球の季節も終わって日常に帰ろうとしているのだろう。
改めて夏の終わりを感じずにはいられない。

2,高校野球の観方は大分変った

近年高校野球をあまりきれいに見ようとはしていない。
選手一人一人の能力は高くなり、今までとは時代も大分変ったなあと思ったりもするが、それでも今更高校野球の美しき夏、みたいなものに惹かれはしなくなっている。

というのも現在夏の高校野球大会や春の選抜といった大きな大会はドラフトのみならず大学や社会人といったチームへのアピールという要素が多分に絡んでいる事に気付き始めたからというのもある。

高校球児があれほどまで甲子園を目指すのか、と問われたら勿論純粋に多くの人がうらやむあの球場で試合をしてみたいという気持ちがあるというのはあるだろう。私だって高校時代部活に打ち込んだ身分だ。彼らの気持ちも分かる。
それと同時に彼らには就職活動、進学活動というところもないと言えばウソになろう。

例えば強豪大学のセレクションではまず甲子園出場実績が受験資格になっていたりするところもある。よほど才能がなければ手を挙げてすらくれないのだ。
なにより「○○高校でスタメン」と言うだけで実績として認められる。
後々有利になるのだ。

それを今更否定するつもりもない。
強豪私学に行くような生徒は甲子園だけでなくそこも視野に入れているからスタメンを狙いに高校受験をするのである。才能の高い選手にはスカウトやブローカーの手によって特定の高校に行かせる、なんて話題枚挙にいとまがない。
今更それを否定したところで「高校野球」「甲子園」という錦旗の前にかき消されてしまうのだから。

3,強豪校はなぜ選手を集めるのか

強豪校に選手が集まる、というのは半分正解だ。
球児たちが自分の実力を試すために有名高校に集まるなんてのは今更言うまでもない。

しかし全てが必ずしもそうではない。
前述したとおり、スカウトやブローカーの手によって多くの選手が県内、県外を問わず高校の門をくぐっている。

何故こうなっているのか。
それは甲子園に出場する事はそのまま莫大な広告になるからである。

夏の高校野球大会は朝日新聞とNHKを主体に大々的にメディア報道を行う。これは高校野球大会の前端たる全国中学野球選手権が大阪朝日新聞主導の下で始まった事や、日本初のラジオによるスポーツ報道がなされた、というところが非常に大きい。
日本の高校野球はメディア抜きに語る事が叶わないのである。

それがどういう影響を及ぼしたかといえば、この大会に出る学校は非常に名前を知られる事になるようになったのだ。
古くは早実、広陵といった強豪私学。
戦後は箕島、池田といった大阪を離れた公立高校から作新学院、PL学園、報徳学園といった高校が名前を売る事になった。
20年前、大阪桐蔭高校の名前を知っていた人はどれだけいただろうか。
それが特にここ10年で一気に名前を売る事が出来た。
それはなぜか。彼らが甲子園の常連校になったからである。

こうやって名前が広がると当然高校に生徒は来やすくなる。
まずは球児が。次に一般生徒が。
甲子園に行く事で強大な金が入るから他の部活を強化する。特に関連性が強いのは吹奏楽部。古くから野球の強い高校はその資金を元手に応援部も兼ねた吹奏楽に力を入れる傾向は強い。
古くは天理、愛工大名電こと名古屋電気、習志野、近大付。大阪桐蔭もその例に漏れない。

そのサイクルによって多くの強豪部活に憧れる生徒が学校の門を叩いてくれる。
特に私立は入学数はいつも気にしておかねばならないところであるからそれはもう大きい。とてつもなく大きいのだ。集客効果が。

だから強豪校は必死になって全国から選手をかき集めてくる。
そして生徒は強豪校で力を試したい。

なんてことはない。利害の一致が起き、それがスパイラル現象を起こしているのだ。
そこからプロ野球選手でも出たら尚更選手は高校に集まってくる。このサイクルを求めるからこそ手を抜かないのだ。

4,もはや高校野球大会は地獄変

芥川龍之介の小説に「地獄変」というものがある。
宇治拾遺物語に記されたものを芥川が小説に変えたものだ。

天下に名の知れ渡る絵師良秀は堀川の大殿に「地獄変」を模した屏風を頼まれて書くが、どうしても最後に燃え盛る牛車が書けないという。
そこで大殿は火にかけられた牛車を用意するのだがその牛車にはとんでもない人物が載せられていて……。

というものなのだが、まさに高校野球はこの様相を呈している。
「高校野球」という燃え盛る牛車を見ながら良秀は筆を進める。中の人は牛車と共に燃えていっているにも関わらずだ。そして誰もが「ああでもない」「こうでもない」と言いながら地獄変の屏風を完成させていくのだ。
勿論良秀は誰かだ。特定の人物を指さない。そして牛車の中の人は高校球児でもない。彼らを悲劇的に書きしたためたい人には映っているかもしれないが。

「高校野球」という燃え盛る牛車を見ながら誰かが燃やされ、誰かがそれを観ながら筆を進める。

そんな地獄を毎年繰り返している。
丁度糸車を回すように。

そんな夏の終わりに、もう辟易しているから、まじめに見る気がないのだ。

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