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「知ること」こそ野球の国際貢献

1、日米以外にも実を育てる野球文化があった

WBCは熱気さかんである。特に欧州の活躍が目立つ。
プールAでは大激闘の末、チャイニーズタイペイ、オランダを下しイタリアが決勝ラウンドに顔をのぞかせた。欧州の野球でも歴史あるイタリアが顔を覗かせたというのはいまだにMLBがメインの野球ですら国内の風潮を変えるきっかけの一つとなりうるだろう。

プールBではチェコの活躍が日本を沸かせた。
多少誇張されたところはあると思うが「兼業」という言葉に多くの日本人が感動をした。理由はいかにせよ地味であったチェコが誰かの目に留まるというのは喜ばしい。

プールCでは1930年代にはプロリーグを持っていたイギリスが出場。ほとんど活躍はできなかったものの、欧州でのフランスやドイツとの攻防の末にやってきたことを思えば思いひとしおというところか。
古豪はここからどう変化していくのか、が楽しみである。

前大会より欧州の勢力が増してきている。
生活環境の問題があるゆえに中南米の国々よりは火花を飛ばす選手は少ないが、自分のルーツをめぐるために多くのメジャーリーガーが旗を背負って戦うようになってきたのは第一回がアメリカ周辺の国と日本周辺の国だけのスポーツであった野球の大きな変化であるように思う。

WBCも時代のうねりを得て大きな変化を伴う時代になったといえる。

2,知らない世界が見えてくる時代に

さらに味方したのはSNSであろう。
特にプールBでは兼業のチェコが奮闘をした、という話が飛び交った。その健闘に感動を覚えた、という人も少なからずいたように思う。

しかし、前大会近辺から欧州の野球を少しずつ調べていた私からしたらいうほど兼業というものが人を揺さぶるのか、という疑問を覚えた。
というのも、兼業でプレーしている選手なんて少なくもないからだ。

この辺りは八木虎造の「イタリアでうっかりプロ野球選手になっちゃいました」が詳しい。
傷心の八木氏が自分を癒しにイタリアに行って、たまたまやっていた野球に普段参加している草野球の感覚で参加したらミールマネーをもらった、というところからプレーしながら金をもらう、プロ野球選手になってしまった、という紀行文だ。
彼の参加するチームはセリエAの下部組織であるセリエC。セリエCの選手層がどういう生活をしているか、彼自身も本業であるカメラマンとして二足の草鞋を履きながら生活していることが愉快に描かれている。
こういう兼業が基本で、セリエCともなるとサッカーの試合応援のため、練習日にも関わらずほとんどが参加しないなどもあったり、とイタリア野球に流れるどこかだらしないけれども、ふくよかな世界が読み取れる。
こういう内側を読み解くことは中々知るすべがないのでこういう書籍は一見の価値がある。

また、ブログで多くの情報を出している世界の野球氏(twitterアカウント:@sekainoyakyu)やbaseball world氏(twitterアカウント:@beautifulstadi1)といった選手の試合や成績といったハードウェアの部分から現地で活躍する返田岳氏(twitterアカウント:@nikosorit)を中心に多くの選手が世界の状況をレポートしている。
彼らを知っておけば専業は一部のみで基本的に兼業であったりする事や、登録している選手の普段など多くのことを知れる時代になった。
そして彼らはそれがいいとか悪いとかではなく、その国の現状としてしっかり受け止めながら試合に臨んでいる方も少なくない。選手としてはそこそこに勉学や本業をしっかりしようとしている方も多い。
そういう現状を知っていれば「兼業」で騒ぐこともなければ兼業だからレベルが低いわけでもないと知れるし、その国ごとの野球と社会のつながり方を知る事ができるのだ。

特にことさら「チェコの選手をNPBが採用しよう」「国際貢献のために日本はしなければならない」という発言を多く聞いたが、正直余計なお世話も甚だしい。彼らには彼らの文化があるのだから上から目線のお情けでそういうことをやられて一番困るのは当事国だ。
むしろ今成長のチャンスがあるからこそ日本はどう彼らにビジネスを持ちかけられるのか考えたほうがいい。それが彼らの野球を活性化させるきっかけになるだろう。

3,知らないだけ

そもそも日本で欧州野球が取り上げられるのは2010年代が初めてというわけでもない。1970~80年代を中心に軍司貞則氏が週刊ベースボールで「もうひとつの野球」という題目欧州の野球をまとめている。
それは一度書籍化もされているので一読されたい。知る人ぞ知る、というようなものではあるが欧州における野球の歴史と人々のドラマがまとめられている良著だ。

このように大きなメディアでは目立っていなかっただけで脈々と歴史が受け継いでいたりする。
特にメディアで取り上げられたのは元阪神の遊撃手にして監督であった吉田義男がフランスナショナルチームを率いた時期があり、その経緯から2014年始まった吉田チャレンジは定着こそ難儀しているものの日本と欧州野球を結ぶ架け橋となっている。
また欧州ではオランダが1961年から開催しているハーレムベースボールウィークは1978年から日本も参加している。

見えていないだけで欧州の野球は脈々と続いているし、その苦労はメジャーリーグの力ありきと言っても実を結びつつある。
我々が知らないところで文化は根付いているのだ。確かにサッカー大国故に認知度が低かろうが、ほとんどの選手が兼業であろうが、それは欧州という野球がその土から育ててきたもので、必ずしも日本やアメリカのビッグリーグと一緒にしてはならない。
同じ種を埋めれば必ず同じ花が咲くわけでもないし、実を結ぶかどうかも分からないのだ。

4、だからこそ国際理解を~「知る」ことこそ国際貢献である~

このSNSでよく目にしたのは
「国際貢献のため日本は動くべき」「野球で夢をみられることを教えるためにチェコの選手を取るべき」
といったものだった。知らないことを知って感動を覚えたから、何かしら協力したい、ということなのだろう。
その発想そのものは否定しない。

しかし私はこうも思う。
その発想は上から目線で土足で踏み込むようなものだと。

チェコ代表は自分達の試合が国内で中継されることを非常に喜んだ。
必ずしも明るい光を与えられたわけではない欧州野球の、それもイタリアやオランダといった強豪ではない国のマイナースポーツがWBCを契機に光を浴びたのだ。
しかしそれはWBCという舞台が整って、それに挑戦し、結果を得た彼らの勝利であり、別段我々日本人には関係のない話だ。我々はあくまで東京ドーム含む日本の土地を一時的に貸しただけにすぎない。
彼らは国に戻って本業を行いながら国を支え、自国の野球史を紡いでいくだけだ。また日常に戻っていき、彼らの手足で発展していくだけだ。

だが、今日本で唱えられている言葉は、100年以上ある野球史を背景に、感動という言葉と共に土足で踏み込む侵略行為となにも変わらない。
彼らの歴史を尊重し、なにかしらの形で時には横から、後ろから貢献することこそが彼らに必要なのであり、それを無視して「夢」だのなんだのを押し売りすることはいわばキリスト教を半ば強引に押し付けるように広めようとしたレコンキスタであり、エルサレム奪回の錦旗の元あらゆる土地を侵略していった十字軍であり、文化を教えるといってアステカ、マヤを滅ぼしたスペインと同じである。
それを侵略行為という。
彼らの歴史と文化を知らずにただ自分達の歴史を甘受して醸成した感性を押し付けることはまことそういうものだ。

だからこそ「知るべき」なのである。
多くの現地に住む日本人が声をあげているからこそ、その声を紡ぎ、調べ、まとめあげる。
この行為から得られる行動こそが「国際貢献」なのである。

私は経済活動にすべきだと前述したが、彼らの文化にも成長のためには必ず自国だけで足りないものがある。そこを埋めてそれを生業にしていくことは決して悪ではない。
何故ならどれだけ素晴らしいことをしても受け入れられなければ無駄なものに終わるからである。経済活動は必ず彼らの生活や文化と地続きになっているので、そこに組み込んでいくことで一つの文化圏形成に役立つのである。

侵略ではだめなのだ。
手を取り合わなければ真の国際貢献とはいえないだろう。彼らの歴史や文化を認めた上で我々の血を注ぎ込む。そしてその血はそこに住む人々に喜ばれなければならない。

だからこそ「知るべき」なのだ。
理解し、関わり、彼らの地に我々の知が関わるところを見つけ、新たな答えをその地で育んでいく。
これが「国際貢献」なのだ。
その地が育んできた土壌に我々の土を住まわせて貰う。これをしない、上から押さえつける侵略行為で文化が育つわけがない。これはMLBですら間違っている部分である。

だからこそ、WBCを通して我々の知らない国を「知る」ことを大切にしてほしいと思うところである。

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