mijikko

ソーシャルワーカーとして感じたこと、考えたことをつらつらと書きます。

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最近の記事

生きてほしい

こんなにも悲しいことがあっていいわけがない。 どんなにこども時代に酷い虐待を受けても誰にも気づいてもらえずに生き抜いて、人を殺して死刑を望む。生きているのが辛いからと彼はいう。人を傷つけてしまった事実は本当に本当に大変なことだと思う。だけど、社会福祉士として、私は、本当にごめんなさい、という気持ちになる。悲しい。だって生きているのが辛いほどひどい虐待を受けていたのに、こどもだったあなたを助けてあげられなかったのだ。人が故意に人を殺すという死刑制度には反対だ。どんな理由であれ人

    • 未来、とは。

      湊かなえ「未来」を読んだ、というか、聴いた。 最近、場面を問わず、聴くことができるAudibleにハマり。 話の中にでてくるキャストは以前出会った「あの子」。私は確かに出会った。 言い方を変えれば、出会っている。 今も。 私は社会福祉士で、ソーシャルワーカーで、こどもや若者に出会ってきた。 30年以上も前から、今に至るまで、彼らは 社会から時代によって違う名前で呼ばれてきた。今はヤングケアラーとか…。 今現在もみんな地域にいる。 社会が、変わるのはいつか。変えられるのか。

      • 想いの強い人

        地域の課題を解決する、なんて想いの溢れた人に出会うことが多い。けど、そこには個人の想いを押し付けたり、手段を選ばず、って感じの人もいて、私自身、少し前には関わっていた団体のトラブルに巻き込まれる事態となり、大変だった。今や子ども×若者×地域ってテーマには関心が高い人は多い。地域の繋がりを作り居場所や伴走型支援などを通じて課題解決っていう流れも珍しくない。けど、想いが強いことが、時に一緒にいる人を追い詰めるパターン、想いと想いがぶつかり挙句は決裂というパターンなど感情的な強烈な

        • こどもアドボカシー

           私たちは知らないうちに大人になる。目の前の一瞬一瞬の積み重ねと初めての経験を積み重ねることで出来ることが増えてくる。その過程は一人一人違う経験であり、環境であり、様々。大人になるにしたがって、こどもの頃の感覚は徐々に薄れていく。  昨年、ようやく日本でこどもの権利条約をベースにした政策決定につながるこども基本法が制定されました。今までは児童福祉法中心としたこどもへの関わりや養育、家族や支援機関などこどもの福祉、子育て支援の法律はありましたが、こどもを主体としてこども真ん中

        生きてほしい

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          富士山さん

          有料
          300

          富士山さん

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          制服

          卒業入学のシーズンとなり、制服などリユースで揃える方もいます。私の地域はリユース制服を本人に合っているか、入学する学校でチェックして合ってない場合にはお直しをするそう。制服を買う日に合わせて、学校に持っていく、と聞きました。 なんか不思議な感じです。そこまできっちりやる必要があるんだろうか。もちろん、ほつれとか見るからに補修が必要なら別ですが。 制服、体育着、ランドセル、給食着、靴(外履き、体育館履きやうち履き)、ヘルメット、などなどなど。教材も。学校で使うもの全てをレンタル

          多様性と叫びながら、同質が好きな私たち

          私たち人間は根本的に同質性のものに偏る傾向がある。心地よいものに惹かれていくし、心地よい状態を維持することに必死になる。気の合う仲間、同志が組織化し、自分や所属組織の利益を守る為に、自分たちの信念のもと、自分とは違う意見や考えをとことん潰そうと攻撃する人もいる。安心や自分の中の「正義」のために自分に靡く人や意見を聞いてくれる人だけを取り込んで自分のポジションを保ったり、周りからの承認をもらう、見せることに必死になる事もある。経験的にも歳を重ねるほど、変化や異質に弱いのかもしれ

          多様性と叫びながら、同質が好きな私たち

          今の私のネガティヴを乗り越える為に必要なもの

          ドライブ 歌 掃除 触り心地の良いふわふわしたモノ 時間 これらは今の私が課題や葛藤、辛さ、悲しみ、なんとなくのモヤモヤを乗り越えて行く為に必要なもの。乗り越えるというのはある意味そこにあるけど、放っておける、という感覚。 ネガティヴな感覚を気にしすぎると、自分自身が飲み込まれて私が私らしく生きられない状況になる。誰でも生きている中で大なり小なりネガティヴなものに向き合う時がある。そんな時、そのネガティヴに囚われるとネガティヴのオリに閉じ込められる。ネガティヴを消し去ること

          今の私のネガティヴを乗り越える為に必要なもの

          ケアすることをやめられない人々

          いつものように現場にでると、様々な家族や子どもたちにであう。その様子聞いて思うことがある。 「私が送らないと子どもは学校に行かない。」「私がいなくなったら母はどうなってしまうのか心配で家を出れない。」、「帰って家族のごはんを作らないと。」、、などなど。 確かに他に担えるサービスや関係者がいないこともあるのだけど、ケアすることが生きがいのようになって、いや、ならざる得ないのかもしれないけれど、ケアをやめられない人々でこの世の中は溢れているような気がする。

          ケアすることをやめられない人々

          敵と味方

          最近、世界的にも「分断」があちこちで見られる。どうしてもあっちとこっち、敵と味方で片付けたい人が増えているようにみえる。でも人それぞれ、見えているもの、感じでいるもの、信じているものは一つではない。変化する。何故そこまでして、頑なに折り合わないのか。「怒り」は自分を削る。みんな自分自身の感情に疲れて、戦っている相手に、ではなく、自分にやられてるんだ。自然は相変わらず賑わっている。敵も味方もなく、綺麗かどうかも関係なく、風に吹かれ、雨に打たれ、寒さに耐える。紅葉するもの、緑のま

          敵と味方

          「学校」という場所で起きていること

          夏休みが終わり、コロナ禍での2学期が始まった。この時期、「子どもの自殺」が心配される。スクールソーシャルワーカーとしても、子どもたちへ学校に行きたくないときは学校に行かなくてもいいよ。と伝えたいし、一緒に考えようと伝えたい。行きたくないと思ってしまう原因は「学校」という場所の中で様々ある。そのひとつとしてスクールソーシャルワーカーとしての活動の中で教員が発する言葉に違和感を覚えることがある。子どもたちが教員の指導について「なぜやってはいけないのか」という言葉に対して「口答えは

          「学校」という場所で起きていること

          ソーシャルワーカーはまず、「声」を聴く仕事でもある。「関係性」を扱う私たちは、話す声、心からの叫び、沈黙の中にある声、を聴いて、そこから困っていること、解決したいことを考えて、組み立て、繋ぐ。そして、一人では解決できないから、関係するみんなの声を聴いて、より良い解決策を考えたり、協力して、動く。まず、当事者から声を聞かなければなにも始まらない。ここで私が伝えたい「声」は本当に聴こえて理解できるものもあれば、そうでないもの、聴こえないものも含む。 けれど、どうだろう。きちんと聴

          はじめに

           20数年前の障害者福祉施設でのこと。私が福祉を学び、2年の企業での経験を経て、初めて就職した福祉の現場だ。ここで起きている日常はとても閉鎖的だった。施設のスタッフは障害を持つ子を育ててきたという経験者や介護の学校を卒業したばかりの人、一般企業から転職して福祉の仕事に飛び込んできた人、スタッフには私以外大学などで福祉を学んできた人は一人もいなかった。 施設に入所している方のほとんどは長期にわたり家庭には帰ることができない方がほとんどであった。ここではスタッフ間の支援会議(生活

          はじめに