「ペペロンナーラ」を食べながら思う。

※こちらの記事は、筆者がひとり、飲んで食べて、思ったことをただただ書く記事です。グルメ記事でも批評記事でもありません。あしからず。

雨である。革靴が濡れている。これは朝になっていても乾かないだろう。濡れた革靴に足を通すときのギュギュッとする感じがあまり好きではない。

チーズたち

店内では、ヒデキじゃない方の「YMCA」が流れている。MV付きで。日本人にとっては、あのイントロのあとにはヒデキである。肩までのウェーブにザックリ攻め込んだ襟元、星条旗、白い歯。

ヒデキといえば「ちびまる子ちゃん」の姉を思い出す。名はすみれ。
すみれには妙な親近感を感じていた。すみれというか、もはや「さくら家」に。私と家族構成が同じなのだ。両親、祖父母、そして二人姉妹(私は姉)。清水と浜松では若干の距離があるが、それでも同じ静岡県である。富士山に対する愛情や、東海地震に備えての避難訓練などなど。さくらももことは世代差がありつつも、静岡県民ならではのじんわりくる共感がある。

そのためなのか、「りぼんっ子」だったからなのか、さくらももこを幼少期からぼんやりリスペクトしていた。さくらももこのエッセイが出るたびに読んでいたし、その中から伝わってくる楽しそうな「さくらももこライフ」に憧れた。
「ちびまる子ちゃん」は幼少期の話だが、エッセイが語るのは「ちびまる子ちゃん」のその先、少し大人になった(短大時代?)さくらももこの日々だった。エッセイというものを読んだことのなかった私にとって、漫画でも小説でもないのに笑えて泣けるこの文体が新鮮だった。まだ見ぬ、まだ知らぬ、大人の日常というものはどうやら楽しそうである。
大人が想像できなかったあの頃。私にとっての、漠然と思い描く自分自身の将来像は、さくらももこだったのかもしれない。

最近チーズが好き

エッセイも好きだったが、彼女が編集長を担当していた「富士山」という雑誌が好きだった。
新しい世界を広げるために、彼女はエッセイ以上に自由に動き回っていた。世界を旅していると思いきや、お世話になっているスタッフにドッキリを仕掛けたり、大好きなブランドとコラボ商品を作っていたり。

そうか、職業って一つじゃなくていいんだ。

漫画家と思っていた彼女は、もはや何屋かわからない未知の存在になっていた。

そんなさくらももこに憧れて。
私は今、何者かわからない何かになっている。自己紹介がいつも面倒くさい。今日も店のマスターに「最近は何の仕事がメインなの?」と聞かれる。メイン…それすらパッと答えられない。なんだろう、メインて。

子供の頃、「絵を描く仕事」につきたかった。絵を描いて暮らしていけるのなら、それが何よりも幸せだと思っていた。
絵を描く仕事。画家?イラストレーター?デザイナー?
小学生時代、学年では絵がうまい方だったが、自己推薦で美大に入った。真っ当に実技を受けていたら受からなかったはずだ。大学に入ると優秀な友人たちが周りにたくさんいた。早い段階で絵で食べていくことは諦めた。

チーズの下に卵黄が2個とスパゲッティ

それがどうだろう。気づけば縁もゆかりもない奈良で、(たまに)絵を描く仕事をしている。優秀な友人たちがイラストやデザインと無関係な仕事をしている中で、なぜか私は幼少期の夢を少しかじるようになっていた。

さくらももことのような大人になることを夢見ていたあの頃。今、私は、さくらももこと職種は違うものの、彼女と似たようなよくわからない何かになっている。
とはいえ、もうそろそろ広げた風呂敷を持ちやすい大きさに畳みなおす時期が来たかもしれない。さて私はこのあと何屋になるのだろう。我ながら次の展開が楽しみである。


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