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川俣海雄さん/岡寺・副住職

幼少期は長谷寺~京都生活

―お生まれは?
1974年生まれ。産声を上げたのは母親の実家の京都。そのあとすぐに真言宗豊山派総本山・長谷寺に移って。っていうのも、自分の父親(現・岡寺住職)が長谷寺勤めをしていて、長谷寺の中で幼少期は過ごた。
―長谷寺の宿舎で暮らしてた?
宿舎というか、坊(お寺内の小さな寺院)のうちの一つで暮らしていた。0歳から7歳、小学校一年生まではずっとそこで過ごしてて。ちょうど自分たちが住んでいた一段下に長谷寺の学僧さんたちが生活をしている宿舎があったから、お経の練習の授業とか朝のお勤めの太鼓とか聞こえてきて、とにかくお経が耳に入ってくる(笑)。
―長谷寺が家、なんですもんね?(笑)
そうそうそう(笑)。長谷寺の境内で遊んでたし、山ん中駆けずり回って、そこで生活してやから。今考えるとちょっと特殊な環境で過ごせたんやろなと思うけど。お坊さんが歩いてるのも普通やし、遊んでもらうのもお坊さんやし、お経も聞こえてくるし。逆に言うと一般の生活がわからへんから、そういうもんやと思って(笑)。

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―長谷寺生活のあとは?
小学校1年生までは長谷寺にいて、住職(現・岡寺住職)はそのまま残って、家族だけで祖父が住職していた京都・長岡京の乙訓寺へ移った。そこもお大師さん(弘法大師)が住職をしてたお寺なんやけど、高校3年生まではずっとそこに。お寺には当然住んでたんだけど、だからといってこぼんさん(小坊さん)のように手伝わされることもなく。普通に部活して学校生活を送って、住んでるのがお寺っていうだけで。
―得度したのは?
昭和58年やったから9歳の時かな?得度するには頭をツルッツルにせなあかんから、夏休みの間にやっておけば2学期にはスポーツ刈りくらいになってるやろと。
―怪しまれないというか(笑)
そんなわけで兄と2人で乙訓寺で得度して。その時に今の「海雄」っていう名前を祖父がつけてくれた。

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