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私が着付師になるまで⑥

入るとそこは…

 自宅から自転車で約30分の場所にある、築ウン十年とみえるアパート。年季を帯びて文字が褪せている看板。「ホントにここで大丈夫かなあ?」、恐る恐る玄関のチャイムを鳴らすと、70代位の女性が出迎えてくれました。
 下駄箱の上には1級着付け技能士の楯、中に上がると、数々の額装した賞状・認定証が飾ってありました。20畳程の教室には、和装用トルソーと裁ち台がそれぞれ10前後用意されていました。話を聞くと、こちらの先生は和裁士でもあり、着付と和裁の両教室を開いているそうです。その日は数人でトルソーを使った振袖着付の練習をしていました。
 初日は見学だけのつもりで伺いましたが、もう他に通えるところのない私は終了後、その場で入室の申込みをしました。

カリキュラムなし、テキストなし

 日を改め、初稽古。
 「じゃあ、今日は何をやりましょうかね?」と先生に聞かれ、一瞬「は?」となりました。私はてっきり、カリキュラムやテキストがあると思っていたものですから、まさかの質問だったのです。
 確か「着付け技能検定の対策を…」と入室申込み時のアンケートに書いたはずでしたが、やったのは他の生徒さんに合わせてなのか、振袖の練習でした。
 振袖といっても検定対策(帯結びはふくら雀)ではなく本物の成人式対策で、「あれれっ?」と、初期の頃は何か噛み合わない印象だったのを覚えています。

まるで母から教わるような…

 回を重ねてわかってきたのですが、小物の置く位置、紐の結び方等の細かいことは生徒さんそれぞれ違うやり方で、先生は「ここはこうした方が崩れない」「帯はもっと高い位置で締めて」というように、要所要所に指導するスタイルでした。
 これがまったくの初心者なら違うのでしょうが、ある程度、別のところで着付を習ってきた生徒に対してはそのやり方を否定せず、学びたいことをピンポイントに学ばせてもらえる。そんな大らかなところが、私がその先生を好きになった理由です。
 先生からは着付け技能検定1級に受かるまで4年かかった話、羽織の裄を伸ばす技術で賞を取った話を聞いた他に、お蕎麦をご馳走になったり、「先生の先生」とでもいうべき著名な和装講師の教室へ連れて行っていただいたりもしました。

コロナ禍がやってきた

 2020年3月、「まずは2級から受けましょう」と言われ、着付け技能検定の受検を申請しました。
 その後間もなく、新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言で外出自粛を要請されたことは周知の事実です。
 先生は「私は(来てもらって)大丈夫よ」と仰るのですが、高齢者の感染リスクを考えるとさすがに今は…と、私の方が遠慮しました。
 数か月後に流行の第1波が引き、久しぶりに教室に行くと、検定が中止になったと先生から聞きました。
 私はショックで膝から崩れ落ち、しばし動けませんでした。その日のことはインスタグラムに記録が残っています。

 そこに先生は「さあ、練習始めましょ」と、いつもと何ら変わりない様子で、声をかけてくださいました。
 「先生、切替早いですね」と私が言うと、「そうよ。(中止は)もう決まっちゃったことなんだから、その先を見なきゃ」と清々しい声で仰いました。

今もバリバリ使っている、先生から譲り受けたエプロン。
大好きな「PUIPUIモルカー」のワッペンはカスタマイズ。

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