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初めてのハロウィン

ハロウィンの装飾にすごく力を注いでいる家の飾りつけを見たく、線路の反対側の地区に行く。そこの家の装飾は他の家と比べて明らかに浮いているくらい、すごいのだ。昨年度までの保育園の送り迎えの時(家から少し離れた保育園に通っていた。モンテッソーリだという理由で)、私はその家のハロウィン飾りを見ることが、その時期の小さな楽しみになっていた。この街は電車の線路によって街が二つに分断された形になっていて、私たちが住む地域の家の立ち並びや見た目はいたって普通の住宅街なのだけど、線路をひょいと飛び越えてしまうと、雰囲気は一変する。住宅地というか、どこかヨーロッパの都市を取り上げたテーマパークに来たかのような印象を受ける。そこはJakriborgという、20数年前に建設された集合アパート地区なのである。
大小様々な形のアパートは、温かみのあるピンクや青で色鮮やかに塗られた壁に、木枠に嵌められた小さめの窓が規則的に並べて取り付けられている。それらは、かのハンザ都市や中世ヨーロッパの匂いを漂わせている。
石畳のメインロードや脇の小道では、いつも子どもが遊び走り回っている。そう、ここは抜群に気持ちのいい場所なのだ。電車や幹線道路の窓からこの街の景色が見えるので、それを見た人は心を奪われるに違いないと思っている。私が、その心を奪われたうちの一人なのだから。すっかり話が道に逸れてしまった。ハロウィンに、話を戻したい。
そのような素敵な街並みも相まって、その家のハロウィンの装飾は素敵なのだ。既に暗くなり始めたJakriborgの街中を歩いて、目当ての家へと歩を進める。メインロードの一角を左に曲がって程なくするとその家はあるのだが、角を曲がり始めた瞬間から、その家のハロウィンの装飾が目に飛び込んできた。ただただ、すごいの一言に尽きる。今年の飾りつけは、去年のものと比べて、格段にレベルが上がっている。しかし、まだまだ飾りつけは終わっていない。今日はもう31日だというのに、その家の人は、家の前の木の飾りつけに奮闘していた。私たちはその家の前を通り過ぎてまた戻ってくるという行為を、三回は繰り返したと思う。この家の飾りを見終えてこそ、今年のハロウィンも楽しかったねという感じに落ち着く。子どもがハロウィンの飾りをひとつずつ見ては「これはドラーストアのやつ」とか言うので、ちょっとそういうふうに、飾りを見始めてしまった…。

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今年の我が家のハロウィンは、ドアの前にお菓子を置いておき、それを来てくれた子に取って行ってもらうという形式にした。味気ないなとは思うけれど、ドアの音にずっと耳を傾けていなくてもいいので、これはいいアイデアだった。いつ来るか分からない訪問者に気を揉みながら時を過ごすことは、結構つらいものだ。来年もできればこの形式を採用したいと思う。
夕飯を食べた後、子どもが他所を訪ねてお菓子をもらいに行きたいと言うので、少しご近所を歩くことにした。我が家のようにセルフ式の家でお菓子を貰ったあと、家の前の通りを歩く。恥ずかしがりの気質の子なので、飾りがあるのに、全くドアをノックできない。公園を少し過ぎると、めちゃめちゃ凝った飾りをした家の前で足が止まった。足を止めた途端に、入り口の天井の蜘蛛の人形の上の隙間が空いてプロジェクターが作動しだし、不気味な音楽まで流れ出した。ここの家の飾り、すごいなー!と見惚れていると、中から仮装をした女性が出て来てくれたので、子どもと一緒に「Bus eller godis?」(悪戯それともお菓子)を言い、無事に初めてのハロウィンお菓子を人から貰う。家の中から手を振っている男性も、仮装をしている。ご近所さんでこんなに凝ったハロウィンをする人がいたなんて…驚いた。お礼を言って、次は顔見知りのお家に行く。子どもが慣れている人なので、私たちの助けなしにひとりでドアをノックしてお菓子を貰った。あのお家の飾りは凄いよね、と立ち話をする。家に帰るとパートナーが早速といった感じで、来年用にと、インターネットでハロウィンの飾りを物色している。今夜のハロウィンの雰囲気が壊れるようなことをし始めて、と思いながら、話をふんふんと聞く。私は来年は、かぼちゃの飾りを作れたらいいかなと思う。子どもが「お菓子がこーんなに貰えて、ハロウィンが一番好きな日」と言うので、クリスマスの方が〜云々と口出ししたいところをぐっと我慢して堪える。やんわりと、そうだね、いいよね〜と同意しておく。来年のハロウィンは、訪ねる家が増えるのだろうか。

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