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僕たちはまだ平成を生きているのではないかと思った話

 おはようございます、こんにちは、こんばんは。平成11年生まれのNumber.Nです。

 ふと思ったことを備忘録的に書き留めておこうかと思い、スマホを取りました(現代版、筆を執る的な)。

 先ほどふと思ったこと。それは、僕たちは今、将来の人たちの想像する「平成」を生きている途中なのではないかということです。
 言っている意味が分かりにくいですよね笑💦。

 僕たちは、令和という元号の時間を生きています。既に令和という元号にも慣れてきましたよね。
 ただ、あと数十年経った時に、平成と聞いて想像する時代は、案外今のことなのではないか、ということです。

 どうして僕がそう思ったのかというと、僕にとって1990年代が「昭和」というイメージのあるジェネレーションに当たるからです。
 あくまでイメージでしかないですし、人によってその感覚は大きく異なるかと思います。
 もしかすると、僕が平成11年生まれ、すなわち1999年生まれだから、自分の生まれる以前のことを「昭和」とざっくりと認識しているというだけで、皆さんの意識とは乖離しているのかもしれません。

 映像を観ると、その映像が制作されたおおよその年代が分かったりしませんか? この映像は白黒で画像も荒いから戦後間もないなとか、カラーだけど音声の質感で80年代くらいかなとか。
 20世紀は映像の世紀と呼ばれることがありますが、このように映像から年代が想像できることは、映像の世紀たる所以のように感じます。

 ここで気になるのが1990年代の映像です。
 最近の映像と1990年の映像を比べると大きく違うと思います。映像技術は、我々が感じる技術の進歩の中でも分かりやすい部類なのかもしれません。

 90年代のドラマやミュージックビデオなどを観てもそれを感じますし、個人的にはアニメを観た時にそれを一番感じます。
 僕はドラゴンボールやスラムダンクなど90年代のジャンプ作品が好きなのですが、アニメを観ると昭和な感じをビシビシと感じます。
 漫画として読んでる時には昭和感がないのに、アニメだとそう感じるのです。やはり、技術的な違いなのかと思います。

 技術的な革新は僕たちが思う以上に早く、それが年代の誤認に繋がっているのではないでしょうか?
 そう考えると、数十年後の人たち(僕たちも含めて)からすると、令和の初めの数年ほどを、いわゆる「平成」のイメージとして捉えている可能性もあるのではないかと思います。

 あくまでこれは、僕のイメージであり、平成11年生まれという部分も大きいのかもしれません。
 よければ皆さんの年代の意識も教えてほしいです。

 以上、思いついたことを備忘録的に書き留めてみました。
 令和の徒然草です笑。

 それでは、また!

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