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猫と労働 第4話 「個人タクシーのエクレアさん」

「個人タクシー用の車を買って欲しいニャ」猫のエクレアは甘えたような声で青年へおねだりをした。いつもなら「ご主人、ご飯が出てないニャ」とか、「トイレの砂を交換しておいてくれニャ」と、青年に対して雑な扱いのエクレア。そんな彼が青年の帰宅早々、「お疲れさまでしたニャ、ご主人様。ビールはいるかニャ」なんて気を遣ってくるので何かしらのお願いがあると予想していたものの、これは完全に予想の斜め上だ。

 職業訓練で運転手の適性があると判断されたエクレアはタクシー会社に勤務している。猫は動体視力と反射神経が良いが、その中でもエクレアは抜群だ。集中力と注意力もある。業務内容とエクレアの性格の相性が良かったのだろう、働き始めてからしきりに「乗客を見つけるのは獲物を見つけるのと同じ要領だニャ」と興奮したように青年に語っていた。エクレアが自身の性格に合った仕事に就職出来たことに安心していた青年だが、個人事業主になって全てを自分でやりたいと思うほど好きが高じるなんて思いも寄らなかった。
「個人タクシー?今勤務してるタクシー会社に勤め続けるのはダメなの?」
「ダメだニャ。物足りないニャ。会社の制約なしでバリバリ稼ぎたいんだニャ」 
「玩具を買うのとはわけが違うからちょっと考えさせて。いくらかかるかネットとかで調べてみるから」青年はそう言ってこの場をうやむやにしようとした。
 確かに今はやる気に溢れているが、単なる気まぐれかもしれない。「ちょっとクールダウンさせる時間が必要だな」と青年は考えたが、エクレアは「それなら個人タクシー用の自動車を購入した場合の初期コストとランニングコスト、それに売上予想と税金、それに個人で開業する際の申請方法とか制度や法律ニャんかを纏めた資料を作ってるニャ」と、すでに計画実行に向けて用意周到、準備万端の状態だった。
「えっ、資料まで用意してるの?」
「これだニャ。目を通しておいて欲しいニャ」と、パワーポイントで作ったと思われるカラフルな資料を差し出してきた。
「パワポなんていつ使い方覚えたの?タクシーの運転手ってこんな資料を作るほどPCを使う仕事なの?」
「報告書を作成する事がたまにあるので、その時にPCを使うニャ。基本的な操作はそこで教えてもらって、あとは独学で覚えたニャ」
 興味がある物には全身全霊で全力投球、それがエクレアの生きざまだとは言え、自分を説得するためにパワポまで使いこなすようになるとは。青年は素直に感心したが、かと言って簡単な気持ちで購入するには自動車は高額過ぎる。
「個人タクシーの免許って簡単に取れるの?色々と制限されてるんじゃなかったっけ?」
「それも資料に書いてるニャ。法令や地理の試験があったり、運転手の経験が必要だニャ」
 猫には個体差がある。「ぢゅ~る」は別として、エクレアは食事の内容にはあまりこだわりがない。だが、その分玩具や遊びに関して非常にこだわる、違いが分かる猫だった。そんなエクレアが興味津々になっている個人タクシーという遊び。そうなると今回の要求も簡単に引き下がらないだろうと観念した青年。何にせよ、猫の気持ちを最大限に尊重するのが良い飼い主。真面目に検討しよう。
「とりあえず飯食おう。それから目を通すから」そう言って夕飯の用意を始めた。
「よろしくだニャ。申請の資格を得るためにはあと2か月は今の会社で乗務員経験を積まニャいといけないから、それに合わせてお願いするニャ」


食事を終えて資料に目を通していた青年のスマホに電話がかかってきた。「もしもし」青年の父親からだ。
「エクレアはちゃんとお仕事やれてるかい?ちょっと電話代わってくれ」そう言われたので、青年はエクレアにスマホを渡す。
「もしもしだニャ。パパさん、お久しぶりだニャ」
青年の父親はエクレアを溺愛している。以前は一緒に暮らしていたのだが、就職で一人暮らしをすることになった青年にエクレアがついていったため、別れて暮らすようになった。エクレアが青年についていったのは理由がある。既に定年退職して一日中家にいる父親があまりにも構ってくるからだ。構われないと不機嫌になるのが猫だが、構われ過ぎるとそれはそれで困ってしまうのが猫という生き物の愛すべき我儘さだ。父親が「エクレアは家から出さんぞ」と揉めて大変だったが、色々と理屈をつけて何とか青年について来た。

 エクレアからスマホを返してもらい、再度父親と話し始めた青年。そんな彼に父親がいきなり「エクレアの車、わしがお金出してもいいぞ」と言い出した。相変わらず、エクレアへの甘やかし加減は筋金入りだ。
「親父、おじいちゃんおばあちゃんが孫にランドセルを買うようなテンションで車買うのは止めてくれよ」青年は止めに入った。
「エクレアの車の件はこっちで考えるから。俺とエクレアも貯金は多少はあるし。もし足りなかったりしたらお願いするよ」そう言って愛情のあまり暴走しかけている父親をなだめ、電話を切った。

 改めて書類に目を通していた青年が言った。「戸籍抄本に住民票、運転免許証のコピーに会社の在籍証明・・・個人タクシーの申請ってこんなにたくさんの書類がいるんだな」青年はちょっと驚いた。もう少し簡単なものと思っていたのだ。
「結構大変だニャ。書類関係は行政書士に頼むって手もあるニャ」
「う~ん、大変だけど自分たちでやろうか。初期投資は少しでも抑えたいし。まあ、俺も書類仕事は苦手じゃないし」そう、猫に手を煩わせないのが良い下僕だ。
更に書類に目を通す青年が驚いたような声を出した。「えっ、自己資金を200万円以上持ってる証明?こんなのもいるの?」
「必要だニャ」
 さすがに追加で200万円は厳しいを通り越して無理だ。「これは親父に頼まないとな」青年はそう呟いた。

 
 エクレアたちが住んでいる地域を管轄する地方運輸局に個人タクシー開業の申請書を提出してからしばらくして、申請が通ったとの連絡が来た。
 これでエクレアも立派な個人事業主だ。会社が定めた勤務時間に縛られず、バリバリ働くのだろうと思った青年を尻目に、エクレアは居眠りをしている。
「俺は会社に行くけど、エクレアは仕事に行かないの?」青年がそう尋ねるも、エクレアからは「まだ寝るニャ」との頼りない返事が返って来ただけだ。
「ひょっとしたら仕事したくないから、個人タクシーを選んだのでは?」との疑惑が青年の胸の中に浮かぶ。人間は全面的に飼い猫を愛してるが、全面的に信じているわけではない。どちらかというと疑っている。全ての猫はニートとしての天賦の才を持って生まれる。働かない道を選ぶために嘘をついた可能性は否定出来ない。
 もしくは、個人事業主の申請が下りるまでのこの数か月の間に興味がなくなった可能性も考えられる。そもそも青年はエクレアの飽きっぽさに一抹の不安を感じていた。何か月も夢中になっていた玩具だったのに、ある日を境に急に関心を失う姿を何度か見ているからだ。
 青年は落ち着かない気持ちになった。

 開業してから数日の間、エクレアは基本的にダラダラし続けた。仕事に出る事もあるが、タクシー会社に勤務していた頃よりも明らかに車を走らせる時間が減っているようだ。貯金をはたいてエクレアへ投資した青年も「これは回収出来ないかもな」と諦めかけていたある日、変化が起こった。
 その日、青年が仕事から帰ってきたらエクレアは自宅にいなかった。仕事に出かけたのだろうと思った青年は食事の用意をし、エクレアの帰りを待ったのだが深夜になっても一向に帰ってこない。仮に事故なんか起こしてたら緊急連絡先である青年に連絡が来るはずなので、おそらく身の安全は大丈夫だろう。「どうして今日に限ってガッツリと働いてるんだろう」と思ったが、次の日も仕事なのでエクレアの帰りを待たず寝る事にした。

 翌日、目が覚めた青年の枕元にお金が置いてあった。それも結構な額だ。「何事?」と訝しむ青年の前へエクレアがやってきて「昨日は大漁だったニャ」と、昨日の仕事がどれだけ上手くいったのかを自慢げに語り始めた。
 エクレア曰く、夕方に京浜東北線が運休になったとスマホアプリから通知が来たので、急いで新橋駅に向かい、拾えるだけお客さんを拾ってきたとの事。更には夕方から深夜にかけて強い雨も降っていたので、まさに入れ食い状態だったらしい。
 ご機嫌な様子のエクレアはそう得意げに語り、青年の枕元のお金を自身の財布にしまった。猫が飼い主の枕元に獲ったネズミを置く、いわゆる「お土産」だったのかと青年は理解した。「お土産」には色んな意味があるが、どうやら今回は「こんな立派な獲物を俺が獲ったぞ」という自慢らしい。何にせよ、飼い猫がご機嫌ならつられてご機嫌になるのが飼い主というものだ。

 こうして個人事業主・エクレアの荒稼ぎが始まる。仕事を狩りの代用と捉えているエクレアは昼は体力を温存し、人がタクシーを利用したくなる状況、つまり狩りやすい状況になったら積極的に車を走らせた。明け方や夕暮れになると活発に動き出す猫の「薄明薄暮性」という習性と、明け方や夕暮れになると出勤、退勤するために活発に動き出すサラリーマンの「規則正しさ」もお客を捕まえやすい時間帯づくりにおいて有利に働いた。

 個人タクシーの仕事はかなり上手くいっているらしく、休みが重なったある晩、二人で晩酌をしているとマタタビ酒を飲んでご機嫌になったエクレアが好調の秘訣を青年に向かって得意顔で語ったことがある。
「ぼんやりと車を流していてもお客は獲れないニャ。街の人がタクシーを必要としている時間帯、必要としている状況を見極めるのがコツだニャ」お客の捕まえ方を講釈するのだが、捕食動物が言うと妙に説得力がある。
「なるほど、だから電車が止まっている時や、雨が酷い時を選んで仕事に行くんだな」実際、エクレアはタクシー運転手として相当優秀なのだろうと青年は思った。とにかく稼ぐ猫だ。月によっては青年の月収を超える。そこそこ良い大学に入り、そこそこ良い会社に勤め、そこそこ上司から期待されている自分より個人タクシーを始めたばかりのエクレアの方が稼ぎが良いのかと思うと青年は少し複雑な気がしたが、まあそんな事は考えても仕方がない。ここは素直に喜びを分かち合うのが良い飼い主だ。
「そうだニャ。それと人間のドライバーは雨の日のような好条件でもある程度稼いだらその日の仕事を終わりガチだニャ。それじゃ、ダメだニャ。稼げる日は限界まで稼ぐのが大事だニャ」
「それ聞いたことあるな。タクシードライバーはお客が多い日に早く仕事を切り上げて、お客が少ない日に長く働くってやつだよね。行動経済学だっけ?」
「何の学問か分からニャいけど、出来る猫は教わらなくても身についてるニャ」エクレアはドヤ顔で答える。「エクレアはドヤ顔も可愛いな」と青年は思った。


 その後も青年の枕元に何度も「お土産」が置かれたし、それは時には目を見張るほどの大金だった。察しが良いエクレアはタクシードライバーを始めてからすぐに電車の運行情報、道路の混雑情報、天気予報、イベント情報等のチェックを習慣づけたり、目的地からの帰る車が空にならないような立ち回をしたりと、誰から教わるわけでもなく効率的に稼ぐ術を覚えたが、この頃になると「上手く説明できないけど、どこにお客さんがいるのか大体わかる」なんて非科学的なことを言い出すほどタクシー運転手として成熟していた。
 エクレアが言うには狩猟動物特有の「野生のカン」が働いているらしい。運転席から見える人や車の流れを見、街の雰囲気を感じるだけで稼げるポイントが分かるとのこと。もしこれと同じ事を人間が言ったらオカルト丸出しと笑われそうだが、狩猟動物であり、現実に稼ぎまくってるエクレアが言うと何かしらの深みを感じる発言になるなと、青年は思った。
 しかし、ここまでエクレアが稼いでしまうと青年の心の中に今まで考えたことの無い、「良くない考え」が浮かんできた。「エクレアがこのままの調子で稼げば一財産築けるかも」そんな邪な考えが頭をもたげたが、飼い猫でお金儲けを考えるのは愛猫家にとって殺人と同じくらい倫理的タブーだ。そんな時はいつだって青年は邪念を振り払うように頭を振った。

 
 1年が過ぎた。青年の期待に応えるように相変わらずエクレアは稼ぎまくってる・・・とはならなかった。今やすっかり飽きていた。最近は労働の義務を果たす最低限の稼働をしたら家で寝ている毎日だ。
 青年も伊達に長く猫の飼い主をやってないので、エクレアが以前のようにバリバリと働くように叱咤激励する事は諦めている。人間が猫をどうこうすることは不可能なのだ。エクレアで一獲千金の夢も潰えたが、悲しいとかそういう気持ちではなく、逆にホッとした、清々しい気持ちになった。そもそも、きまぐれで飽きっぽい猫に対し、高いモチベーションを保ちながら勤勉に働き続けてもらうことを期待するのがナンセンスだ。猫に求めるのは「癒し」とか「可愛さ」だけで良い。
 それに最初に稼ぎまくってくれたおかげで青年は無事に投資分を回収出来た。「今まで見たことがないほど一つの物事に夢中になったエクレアの姿も見れたし、これで充分だろう」そう青年は思った。

 そんな風に「落ち着いた生活に戻った」と青年は思っていたのだが、ある日、彼が自宅に帰って来るやいなや「お疲れさまでしたニャ、ご主人様。ビールはいるかニャ」と、エクレアが露骨な態度でご機嫌を取りに来た。エクレアから何か言われるまでもなく、間違いなくこれは「おねだりモード」だと青年は確信した。そう言えば最近は家でやたらとPCをいじっている。別の事に興味が出て来たのかもしれない。
「エクレアの態度を見る限り、今回のおねだりも小さなものではなさそうだな。車を買うくらいの大金を必要とするか、かなり複雑な手続きを要するみたいだ」青年は身構えるような気持ちになった。
 だが、猫の気持ちを最大限に尊重するのが良い飼い主だし、猫に手を煩わせないのが良い下僕だ。「前回みたいに回りくどいやり取りなんかせず、エクレアのやりたいように進めよう。飼い主として可能な限り」青年はそう思い、何か言いたげにソワソワしているエクレアに向かってこう言った。

「とりあえず資料見せて。もう作ってるよね」
「これだニャ。目を通しておいて欲しいニャ」



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