「仕方ない」と思える恵み

我々には信教の自由がある。信教の自由があるということは、宗教をまったく信じない自由もあるということだ。そして日本人の多くが、ふだんは宗教抜きにやっている。

昨日のnoteで少し書いたがニー仏さんによれば、昔は「仕方ない」で済ませられていたことが今はそうではなくなり、とことん原因を追及するようになったという。そして責任者と特定された者の、その責任を責めて責めて責めまくるメンタリティが、社会的に形成されている。

そういえば以前、ツイッター上でこんなやりとりを見た。
ある人が嘆いた。「人生、いちど失敗したらやり直しがききませんね」。それに対して別の人が答えた。「そんなことないですよ。犯した失敗は法に照らして、必要とされた分だけ償えばよい。償ったあとは、またやり直しがききますよ」。だが相手はそう言われても、実感として納得していないようだった。

責めて責めて責めまくらずにはいられないのは、人間の社会が、人間内部で完全に閉じているからである。人間の理解を超えたものを一切認めないのだから、当然、すべてを(今現在の)人間が理解できる範囲にあてはめる。事故や過失が起こったとき、それはすべて個人が個人的理由で犯した罪として断罪される。意図なり原因なり、とにかく個人にまつわるものがすべてである。個人対個人以上の何かをまったく認めないのだから当然である。

ところで、わたしは昨年の夏に縄文展を観に行った。土器の予想をはるかに超えた繊細さ。そして土偶にこめられた祈りの迫力。命がみなぎっていた。昨日造られたばかりとしか思えなかった。粘土板に赤ん坊の手形や足形を押したものもあった。この赤ちゃんは今もどこかで生きている。数千年昔?ばかなことを言うな。それほどにそれらは活き活きとしていた。

岡村道雄『縄文の生活誌』によれば、縄文人の15歳からの平均余命は15年程度だったという。平均寿命ではない。平均余命である。平均寿命で統計をとってしまうと、その年齢はあまりにも低くなり過ぎるから平均余命なのだ。つまり、乳幼児の死亡率はすさまじく高かったということである。乳幼児だけではない。出産する母親の死亡率も高かった。ようやく健康が安定する15歳まで生き延びた人間を一応の標準として、そこから「さらに」平均して何年生きられるかを数えるのである。それが15年。30歳代で多くの人が寿命を全うしたのである。

縄文時代、それこそ子供が木登りをしていて、枝から落ちて死ぬことさえあっただろう。風邪をこじらせたり、下痢が治らなくて死ぬこともあったはずだ。死はまったく日常的な風景だっただろう。愛する者の死を前にして人々はもちろん深く悲しんだであろうが、同時に「仕方ない」と、死者の魂を来世へ見送ったと思われる。「仕方ない」と思わなければ、明日を迎えることはできないからである。そして「仕方ない」を支える柱が、精霊や来世など、人知を超えた世界への信仰だったのである。わたしたちは今日の神社、とくにその鎮守の森に、縄文のかすかな名残を見ることができるかもしれない。

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