命の喧騒と死の静寂

贖宥の文書で自分たちの救いが確かであると自ら信じる人たちは、その教師たちとともに永遠に罪に定められるであろう。 
  マルティン・ルター「贖宥の効力を明らかにするための討論」1517年

ハロウィーンが今年も終わった。渋谷では大騒ぎで、軽トラックを引っくり返す若者たちもいたという。カーニヴァルをミハイル・バフチンは「階級など既存の価値がすべて宙吊りにされる状態」と呼んだが、若者たちはまさに、閉塞感に満ちた既存のものすべてを宙吊りどころか、引っくり返したかったのかもしれない。もちろんカーニヴァルが終われば、軽トラックは弁償しないといけないが。

ハロウィーンの遠いルーツは、死者の霊魂にまつわる祭儀であったようだ。それを祭っていた人々にとって年の瀬が10月31日だったことも、今日の日程に関係しているようである。ところで、牧師であるわたしにとっては、10月31日は別の意味で親しみがある日である。いわゆる「宗教改革記念日」である。

10月31日すなわち諸聖人の日の前日、ルターはヴィッテンベルク城の扉に95か条の提題を書いた紙を打ち付けた。この伝承をもって、この日を「宗教改革記念日」という。実際にはルターはそんな派手なことをやらかしたのではなくて、95か条の提題をマインツの司教に直接送付したらしいのだが。冒頭の引用は、そのなかの一文である。贖宥状は、昔は「免罪符」と訳されていた。免罪符は定価が決まっていたのではなくて、金持ちなら高額の、貧しい人なら払える程度の金額を払って購入したらしい。それは自分が死んだときに煉獄や、ましてや地獄へと堕ちないための保険のようなものであった。そして、すでに亡くなった家族のためであるならば、その家族が地獄や煉獄で苦しむことなく、一刻も早く天国へ昇れるようにと、祈りを込めて購入した。施餓鬼供養に少し似ていると思う。

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