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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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#死

わたしの曖昧な喪失

お世話になった人が、亡くなった。

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葬儀に出よう

超常体験はここでは除外して考える。そして、わたしは牧師だが、あえて宗教的あるいは教義的な…

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父は母の肩に手をまわした

話ができる父を最後に見舞ったときのことである。仕事がら、いつでも父とこの世で別れるつもり…

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それは天が記憶すること

初任地に元牧師夫人がいた。わたしが赴任した時点で、その方のおつれあいは亡くなられていた。…

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独りで死ぬことについて

縄文時代の15歳からの平均余命は15~20年程度であったという(岡村道雄『縄文の生活誌』)。平…

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疑わしきは罰せず

寄り添う。それはとても耳に心地よい言葉だ。わたしも牧師として、教会に来る人の告白に耳を傾…

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命の喧騒と死の静寂

贖宥の文書で自分たちの救いが確かであると自ら信じる人たちは、その教師たちとともに永遠に罪に定められるであろう。    マルティン・ルター「贖宥の効力を明らかにするための討論」1517年 ハロウィーンが今年も終わった。渋谷では大騒ぎで、軽トラックを引っくり返す若者たちもいたという。カーニヴァルをミハイル・バフチンは「階級など既存の価値がすべて宙吊りにされる状態」と呼んだが、若者たちはまさに、閉塞感に満ちた既存のものすべてを宙吊りどころか、引っくり返したかったのかもしれない。も

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空席は語りかける

アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。                        …

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頭が信じる、体が信じる

以前に京都の浄土宗のお寺でイベントがあって、参加者十数名でいっせいに念仏を唱える体験をし…

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死は神んだ

宗教にリアリティがなくなっているのかどうかは分からないが、オウム真理教の一連の事件以降、…

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