父は母の肩に手をまわした
話ができる父を最後に見舞ったときのことである。仕事がら、いつでも父とこの世で別れるつもりでいたわたしは、何気なく父に声をかけた。「お母さんといっしょに、写真撮ってあげるよ」
上半身を起こした父の横に、母に腰かけてもらい、わたしはスマートフォンを構えた。すると父はあふれるような笑顔で、母の肩に、木の枝のような手をまわしたのであった。
父の死後、母はこのときのことを繰り返し、驚きをもってわたしに話してくれたものだ。お父さんがあんなことをするなんて、考えられなかった。今までなら照れ臭がってあんなことしない。なんのためらいもなく、笑顔で肩に手をかけてくれた。お父さんはもうすぐ死ぬことが分かっていたのかもしれないねと。
父は昭和12年生まれで、祖父は教育勅語を大切にする教師だった。先祖は医師の家系で、父もそれを期待されたが、進学校の高校まで進んだものの、高卒で終わった。その後は高度経済成長期のなか、ある程度安定したサラリーマン人生を送っていたが、「自分はこれでよかったのだろうか」とどこかで思っている父の姿は、わたしにははっきりと見えた。なぜなら、わたしもまた、まるで父の後を追うように同じ高校に進学したものの、高卒どころか中退をしてしまったからである。
家族の期待に応えられなかったこと。兄弟や親族、そしてなにより、一流大学に進学してエリートになった同窓に対する劣等感。あれこれ思い浮かぶ言い訳。しかし今の自分に何ができるのか───わたしは成長するにつれ、父の甘えも苦しみも理解するようになっていった。そんな父が、「ダンディに」パートナーの肩に手を回すなど考えられなかった。父は母に依存しつつ、しかし母に「ありがとう」と言葉で表現することもなかった。家族で歩いているときも、いつも父は、まるで独りで歩いているようだった。
父はわたしが伝道者として初任地へ向かう直前に、脳塞栓で倒れた。体がスマートで丈夫であることを唯一のプライドとしていた父にとって、アイデンティティがへし折られるような、壮絶な挫折であった。父は「必ず元通りになる」と、ほぼ信仰といっていい目標を立てて、リハビリに励んだ。だが時折黙って虚空を見つめる父は、たぶんすべてを了解していた。
記事に共感していただけたら、献金をよろしくお願い申し上げます。教会に来る相談者の方への応対など、活動に用いさせていただきます。