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生きること、死ぬこと、そのむこう

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牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧…
このマガジンの記事を踏み台に、「そういえば、生きてるってなんだろう?」と考えを深めて頂ければ幸いで…
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2020年2月の記事一覧

閉鎖病棟に入る(12)

中庭を囲むようにコの字になった病棟。その4階に閉鎖病棟はあった。7階が開放病棟だったわけだ…

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閉鎖病棟に入る(11)

作業療法では油彩を始めた。描く対象もとくに見つからないので、病院から鏡を借りて、わたしは…

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閉鎖病棟に入る(10)

仕事以外で誰かと会話をすることがない。そしてその仕事とは幼稚園の事務であって、子どもたち…

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閉鎖病棟に入る(9)

自分の投げた槍が的を外していることを確認するだけでは、まだ足りない。投げ方を吟味する必要…

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閉鎖病棟に入る(8)

対話する相手は自己だけではなかった。認知行動療法ノートは診察のたびに、医師にも見せた。医…

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閉鎖病棟に入る(7)

入院している仲間たちのインパクトは、あまりにも強かった。つい長々と語ってしまった。そう、…

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閉鎖病棟に入る(6)

わたしは元少年Aを弁護したいわけではないし、同室の少年を断罪したいわけでもない。彼の妹は辛くも無事だったという。ひょっとすると「妹を金づちで殴った」というのも、彼の虚勢を張った言葉だったのかもしれない。とはいえ、ここに措置入院させられる程度のことはやったわけだ。すべてが嘘だというわけでもないだろう。わたしは知ったのである。世のなかには「人を傷つけてはいけない」という感覚を、器質的に持つことができない人がいるかもしれない可能性を。そしてそういう人には、テレビのコメンテーターの義

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