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出来ない・知らないは、恥じゃない!

記憶と計算が正しければ、この8月で障害者福祉の仕事を始めて19年目になります。まぁよく続いたものだと、自分を褒めたいと思います。ちなみに△△△は今月末でで丸8年を終えます。来月から9年生(中3)です(笑)


最初は、街の小さな作業所で5.6人の利用者さんと4.5人の職員とでお弁当を作って、配達して洗い物してました。知的だけでなく、身体・精神と3障害揃ってましたが、ある程度会話の成り立つ人もいて、そんなに重度の利用者はいませんでした。事故なんて起こりませんし、行動障害もありません。そこは障害者の家族が経営しており、専門的な知識・技術・ノウハウもなく、研修も当然ありませんでした。ですから、私自身にも知識も技術もノウハウは、身につきませんでした。得たことと言えば、弁当箱の洗い方とか、せいぜい一部の障害者を理解できた、と言う程度の物でした。


そんな状態で、入所施設に転職しました。配属された部署では、他害だ、自傷だ、てんかん発作だ…それまでの利用者さんとはまったく違い、同じ障害者福祉でも異次元の世界に来たというのが正直な気持ちで、最初は絶対に続かないだろう、辞めちゃうかも…と思っていました。同じ部署の職員は、私と同い年が一人いて(管理職)、あとは全部年下です。しかも、新卒の子が3人いました。年齢にして15歳ほど下の子です。こっちにしてみれば、この重度の利用者の支援を数か月支援している子たちにもう尊敬のまなざしです。でも、15も上だと、みんな気を使って、「せんぱーい。2年も経験あるんですよねぇ~いろいろ教えてくださいよ~!」とおべっか使ってきます。こっちとしたら、そんなこと言ってプレッシャー掛けないで!と思い、必死に彼らの支援見て真似るので精一杯でした。


当時の心境としては、新卒の子からみれば年齢も上・社会人経験も豊富・一応障害者福祉経験者。だからできないとか知らないってことを言えず、それは恥だと思っていました。もちろん支援も彼らより上手く、見本にならなきゃいけない、それが重荷に感じて、結構精神的にもしんどかったです。上手くいかないことを、利用者のせいにしたり、出来ない・知らない自分に対するイライラを周りや利用者にぶつけてしまったりもありました。


でも、こういうことは結構身近で見ます。経験を積むにつれ、役職が上がるにつれて、経験の浅い子や立場の下の子よりも、知っていること・できることが多くて当たり前、出来ない・知らないはもってのほか。。。実際そうでしょうか?聖人君子や聖徳太子みたいな人、これまで出会ったことはありません。もちろん、経験に伴って出来る・知っているが増えていかなくてはいけません。でも、すべてができる・知っているは不可能です。これまで障害者支援を19年やっても、分からないことだらけです。この先も、分からないことは出てくるし、同時に分かった・できたも増えていくのでしょう。。


できない・知らないとか1面で人より劣ることは、決して恥ではありません。できてる・知ってるふりしたり、誰かを責めたり、イライラしたり、自分の体裁を良く見せるために利用者や周りの人に無理を強いたりすることの方が恥だと思うわけです。この延長線上で虐待が起こる危険性もはらんでいます。

できない・知らない・人より劣っているが恥ならば、障害者はどうしたら良いのでしょう。○○のキーワードの成長や発達を定義付けすると、できない・知らないができた・分かったに変化することです。隠すより本人の努力や周りの協力を得て、それを克服することに意義があるのだと思います。本当に良い社会・良い組織と言うのは、素直にできない・知らないを認め、周りに助けを求められ、周りはそれを責めずにそれを援助する。そんな社会や組織ではないでしょうか?安心して弱みを曝け出せる社会や組織って素敵です。


19年の経験がある施設長だからって、何でもできる・知っているわけでも、特別なことをできる存在でもありません。まだまだひよっこの発展途上中なんです。ぜひぜひ、みなさんのお力をお貸しください♪

2020.8 しせつちょうだよりより

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