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残せるのは、思い出だけ!

障害者福祉で働き始めて19年目。○○○は、3つ目の施設です。これまで出会った利用者は4・500人くらいでしょうか。出会いがあれば別れもあります。ほとんどの別れは施設を移った(転職)ことが大きな理由になります。その次をあげると、一生のお別れです。○○○では、4名の方をお見送りしましたが、それ以前も含めると10数名です。


さて、現在△△さんが入院されています。今日現在、次の転院先が決まり手続きを進めている状況です。隠し事をしてもいずれ分かることですので、この書面で報告いたします。今回、入院した時点で、積極的な治療はしないことをご親戚や後見人の方と相談し、決めました。今回の転院も治療をしないことを前提に移りますので、△△さんにとって最後の場と言うことになります。現状としては、最後の瞬間をただやすらかに迎える、それだけが目的です。現実なので、受け止めるしかありません。


私自身も50を超えて、平均寿命まで30年ほど。人生100年時代とも言われていますが、それでも折り返しを過ぎました。先日ALS患者の嘱託殺人の報道がありました。事件の是非は問いませんが、自分が同じ立場なら同じ選択をしていたかもしれません。そんな状況なので、自分自身の死についても、時折考えることがあります。出来れば痛いとか苦しいとかの思いをせずに、ピンピンコロリで『人生やりきったー』と笑いながらガッツポーズで逝きたいと考えています。しかし願望通りにいくかどうかは自分では決められません。ただ確実に言えることは、私だけに限らず人は皆、生を受けた限りは必ず死の瞬間がやってくる、逝き方は自ら決められないということです。


○○○に来て、前の施設で亡くなったある利用者のことを思い出します。その方は、入所されるときから手続きなど関わらせてもらいました。現場で支援を担当したことやお母様のお葬式にも参列しました。これだけ沢山の方がいたので、相性が良い利用者もいれば、悪い利用者もいました。この方は、残念ながら後者です。私自身が相性の悪さやどこか苦手意識を感じていたので、それを見透かしていたのかもしれません。非常に愛嬌のあるキャラでしたが、私にはどこか緊張感のある接し方だったと記憶しています。訃報を聞いたとき、最後にどんなことを思ったんだろうと思いました。ひょっとして、私のことを思い出したのなら、あんまり良い思い出ではなかったでしょう。


人は亡くなったら、天国地獄に限らず何も持ってはいけません。どんなにお金を持っていても、どんなにたくさんの物を持っていても、それを担いでいくことは出来ません。最後の瞬間、人生が走馬灯のように…なんて話を聞きます。唯一あの世に持っていけるものがあるとするならば、それは思い出だけなのかもしれません。


入所施設は、ある意味利用者の人生丸抱えする仕事でもあります。通所施設でも、人生の一部分を支える仕事です。そんな仕事の中で、利用者にとってどんな影響を与えられるのか、良い思い出(心地よい空間)を残すのか、悪い思い出(心地悪い空間)を残すのか、日常の関わり方の中にこそ私たちの仕事の真価があります。


死が必ずあるにもかかわらず生きるのは、良い思い出をたくさんあの世に持っていくためなのかもしれません。逝き方は、生き方次第とも言えます。利用者に限らず出会った人に、良い思い出(空間)を作ってあげられたら、お互いにとって幸せな人生となり得るので・・・そんな風に感じています。言動や行動などの関わり合いの中(空間)で他者に幸せや豊かさを感じてもらう事こそ、私たちの仕事の価値であり役割です。1日1日、一つひとつの支援を大切にしたいですね。


メッセージカードやアルバムも作ってくれ、職員みんなの思いに感動しましたが、△△さんに対してまだできることは、ある気がしています。

2020.7 しせつちょうだよりより

だれかの気づき・きっかけになりますように!

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