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国際的なエリートコースとその裏道

今思い返すと、高校は社会の縮図であった。かく言う私は公立の通信制高校の出身者であり、入学難易度的に言えば、学校のブランドは下から数えたほうが早かった。実際、格別の学力試験もなく、面接と作文だけで合格をした記憶がある。

したがって、私は当時、社会の序列としては下の方にいたのである。学校の入試難易度やブランド、学校での学業成績、部活動での実績、友人関係の豊富さ、恋愛経験の有無、両親の職業や学歴――高校生はこのような観点から総合的にチェックされる。

経験則上、一つ言えることがある。それは、「何でもできる上位0.1パーセントの国際的なエリート」には、正面切って戦っても勝てないということである。

学力面で例えれば、普通に努力しただけで、灘中高に進学し、数学オリンピックでメダルを獲得。東大理三に進学し、研究医の道を歩み出すといった少数の人達である。

では、だからといってその他大勢の人々は、このような国際的なエリートの実績を前にして、おのれの遺伝や能力に絶望しなければならないのであろうか。

決してそうではない。弱者には弱者の生き残り戦略があるからである。具体的には、能力を一点特化で開発することである。とくに、高校=社会の既存の伝統的な価値観では盲点となっている能力であると、競技人口の絶対数が少ないため、より勝ち星をつかみやすくなる。

例えば、N/S高の投資部・政治部・起業部などは、そのような盲点を補完する試みであるとみなせる。今、自分に何も取り柄のないと思っている若い人々は、従来の学校であまり取り扱われていない分野に挑戦してみるとよいかもしれない。

これに対して、数学・情報・英語といった伝統的なカリキュラムの中で、上位層に食い込むのは容易ではない。そのためには、灘中高に準ずる学力が求められるが、誰でもそのようなカリキュラムをこなせるはずはないからである。

社会における生き残りも同じ話である。いわゆるエリートコースとは、東大や早慶を代表とする立派な学歴を蓄積し、就職四季報に掲載されている一流企業に就職し、若干の転職を経験しながら立身出世を図るのが王道である。

しかし、このコースのどこかの時点で外れてしまい、復帰がほとんど不可能になったからといって、生き残りの道が絶えてしまったわけではない。弱者には弱者の裏道が存在するからである。

具体的には、物販・アフィリエイト・SNS運用などのスモールビジネスによる起業が考えられる。これらのビジネスは、学歴・職歴ともに不問である。もちろん、これらの仕事の社会的な地位はあまり高くない。また、いくら効率の良いネットビジネスだからといって、寝ながら楽に稼げるわけではない。仕事である以上、年単位の努力と集中は必要である。

しかし、スモールビジネスの成功者の事例では、エリートコースに劣らない収入や資産を確保している。いわば、名を捨てて実を取ることを割り切れるのであれば、エリートコースに囚われることなく、この裏道を突き進むのは有力ではないだろうか。

要するに、弱者の生き残り戦略とは、非伝統的なカリキュラムで卓越した実績を残すことである。

まとめ

・何でもできる上位0.1パーセントのスーパーエリートには勝てない
・弱者の生き残りの戦略は、学校や社会であまり取り扱われていないカリキュラムに取り組むこと
・一般人は、エリートコースよりもスモールビジネスで起業するのが有力

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