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掌編小説「海」

青々とした海は静まり返っていた。厖大な海といえども波の飛沫の一粒一粒から成っている。佐藤国明は、海浜公園の砂浜に立って、それらの光景を見渡していた。海には海の時があり、砂には砂の時がある。海の水は時と限りなく一体化していた。佐藤は、不可逆な矢が地平線へと射られるような幻想を持った。
悠久の歴史を持ち、一粒の生命の誕生から人類の繁栄に至るまで、母なる海は絶えず揺蕩ってきた。
佐藤は汀の水を手ですくい、一口含んだ。塩辛い味がした。海水は魚にとっては栄養となるが、人間にとっては毒となる。漂流した時、海という名の牢獄に閉じ込められて死んだ数々の船乗りを、佐藤は想像した。
海は、その藻屑に消えた者たちが横たわる黄泉の国であった。その国には数々の英雄が棲んでいるだろう。しかし佐藤は必ずしも、自分自身を英雄視しているわけではなく、むしろ自分自身をありふれた平均人であるとみなしていた。
砂浜には打ち上げられた海月が干上がりかかっていた。その透明な弾力の上には点々と砂粒が付いている。人はこのような海月のように果敢ない存在者である。佐藤はそのように感じ、自分自身の死も遠くないことを感じた。
なお、佐藤は何らの自殺願望を有していなかった。ただ、二十歳の佐藤は、残り六十年の人生といえども、永遠なる者の目から見れば風のように一瞬のものだと感じたのである。
佐藤は改めて、世界が輝きだす刹那の貴さを知った。海は依然として豊饒な色を湛えながら限りなく流れている。その色は空の青を反映して光り輝いている。
佐藤は海と空に対して、心の痛みを感じた。空の高さ、広さ、水の透明さ、柔らかさに比べて、自分自身の心はいかに汚れ、頑なになっているかを思い知ったからである。
夜の放恣な情念は心の中で渦巻いていた。佐藤は既にこれを抑圧することの非人間的な結果を思い知っていた。とはいえ、心の全き清らかさを求めるためには、自我を滅却しなければならない事実は変わりがなかった。
佐藤は、漠然とした思いで砂浜を歩いた。限りなく続くかのような砂の光景は、彼の時間の感覚を空の彼方へと解き放った。地球の回転と共に、佐藤は歩んでいた。そして、その脳内には「宇宙空間の中の自分自身」までがインストールされていた。
佐藤は、靴の裏側に砂地の柔らかさを感じながら、宇宙空間における地球と自分自身の小ささを思っていた。人間は蟻と何が違うのか。地球は砂粒と何が違うのか。その区別を見つけることは難しかった。
海は段々と暮れていった。赤々とした夕日が西の空に落ちようとしている。既に光は強くなかったので、太陽を瞳の中に映すことができた。佐藤の掛けている眼鏡に付いた埃も光を浴びた。
やがて目を背けると、太陽の残像が空にくっきりと映った。その影の色は深い紫色をしていた。
佐藤は、砂浜の果てまで来ていた。ここが行き止まりで、これ以上先は海となっている。海は依然として青く輝きながら波打っている。

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