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協調性と洗脳と生き方について


普段の人間関係の中で、自分を急激に変えようとすると周りに心配される。これは周りの人間の自己保存の法則が関係しており、彼らに自覚は無く、個々に思う常識を無理矢理当てはめようとしてくる。

ある意味『それだけ気にかけてもらっている』ということでもあるが、それを表立って『俺はお前のことを心配して言ってやってるんだぞ?!』と言い放つ輩もいる。始末に置けない。

基本的に小さなコミュニティ内では多数決で正義が決まる。普段所属するコミュニティ(例えば会社)が一般常識に近く新しい考えを受け入れる柔軟性のない考えを持った者が多いほど周囲の人間によって外堀から埋められる。

大衆先導の代表的なものはCMやTV番組。今は目を覚まし、TVが発信することが『すべて正しいわけではない』ということに気づいた人もいるかもしれない。基本的には一般常識=TVで流れる「良い」とされること…になっている。

世の中は「これが必要」と思わせるCMばかり。 美容品も、薬も、栄養学も見方を変えれば脅迫とも取れる。「3食食べなければ」「食物繊維がないと…」「美しくあるために」「これさえあれば…」人間は自分のコンディションが悪くなると「何かが足りないんじゃないか」と考えるのが普通。だがそこで反対の考えを持ってみる。

「もしかして足りすぎてるんじゃないか?」

私は息抜きにアニメを見る。最近見たのは「金色のガッシュベル」。シリアスな場面でも突っ込みどころが満載。『そんなの個人の自由でしょ?!』『そんなんで怒るんかい!(笑)』初めのうちはワケが分からなかったが、見ていくうちに面白くない→段々面白く感じるように。終いには『それでこそ清麿(主人公)だ!』なんて思いつつ涙するシーンもあった…これも洗脳だ。

そもそも日本は資本主義社会で、数多ある生産業はその本社だけでやっていけているわけではなく細かいネジなどの部品を生産してくれる関係会社との協力で成り立ってたりするわけだが、それぞれの会社が鬩ぎ合い客の取り合いが常である為、毎年同じ製品ばかりを発売するわけにはいかない。

例え去年の製品で性能としては充分な物だったとしても、客の興味を引く商品の開発を無理やりにでも進める必要が出てくる。

「○○シャンプー新発売!」「○○の成分があなたの肌を若返らせます!」「○○さえ飲めば簡単に痩せれる!」

何度身体に良い成分が更新されるのか。思えば20年前から「これだけ飲めば痩せる!」なんて広告はあった。20年経過した今も内容を変えて宣伝されるが、飲むだけで痩せれる薬があるのならとうの昔に口コミだけで広まっているはず。医者も肥満が原因で病気が進行してる患者に対して「これを飲むと良い」と医学会お墨付きのものがあっても良いものだがいまだにそんなものはない。

不安をあおる情報は、コルチゾールを加速させて食欲を駆り立てる。不安は消費者の消費欲も増加させる。

不安を煽るのはCMだけではない。家族も、職場の仲間も扇動者となり得る。『神様に祈りなさい』『男なんだから…』『好き嫌いはダメよ』『お前まだ童貞なのかよ』…。

どう周囲と接していくべきなのか。ひと昔であれば職場の人間意外につるむ手段がなかったが、今はSNSが発達している。オンラインコミュニティなるものも多数ある。無理に職場の人間と付き合う必要はない。

どういう人間になりたくて、どんな人と友達になりたいのか。誰を大切にしたいのか。誰の気持ちに応えたいのか。常識は刻一刻と変わっていく。人生は続く。生きている限りずっと。自分を大切にできない人間は、相手のことも大切にできない。

まずは自分ありき。特に話も合わず、中途半端になんとなく付き合ってる相手がいたり、友達がいるなら僕なら極力関わらない。それは自分が本心から「大切だ」と思える人ができた時のために自分を磨く時間に使うべきであるし、相手も「関わらない時間」が空いた分自分磨きの時間に費やせるからだ。

ぬるま湯は気持ちいい。だがそこで育てた矛盾を孕む曖昧な意思では自分を大切にできる強い心も、相手を守る強い精神も得ることができない。


※一部「無駄に生きるな熱く死ね」を参照



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