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評価を向ける方向を変えればいじめがなくなる

※マインドセット『やればできる』の研究(キャロル・S・ドゥエック著書)より

いじめを受けた者が、それにどう反応するかということにも、硬直マインドセットが関係してくる。いじめを自分に対する評価だと感じると、人は自分を卑下したくなる。人に見下され、自分の価値を否定された人は、今度は自分が相手を見下してやりたいと思うようになる。
しなやかマインドセットの生徒たちは、いじめを自分に対する評価と受け止めるよりもむしろ、いじめる側の心の問題として捉える傾向があった。いじめる側は仲間に認めてもらう為、あるいは、自尊心を満たす為にそんなことをするのだと。最終的には「相手を許せたらいいと思う」「一番の目標は相手が心を改めてくれるように手助けすることだ」と言う主張に強く賛成した。
ただ、元々はしなやかマインドセットの生徒だったとしても、心から信頼していた人からも裏切られたり、長期間にわたっていじめ(侮辱や人格否定)を受けると「それが本当の自分なんだ」と劣ってるという自分への貼られたレッテルを信じるようになってしまう。こうしてできた心の傷が抑うつや自殺に向かわせ、場合によっては暴力へかりたてる。
いじめる側が多数でいじめられる側がごく小数であることを考えるといじめられる側がいじめをやめさせることなど到底できない。だから改善策としては学校全体のマインドセットを変えていく必要がある。成績の優れている子が劣っている子をいじめてめて構わないと許してしまっている学校、あるいは適応能力に問題のある子がいじめを受けるのは仕方ないと考えている学校がいじめを助長、容認している。
学校側、指導者側が生徒をしなやかマインドセットの人間として導く必要がある。その為には先生たちもしなやかマインドセット側の考えを持つ必要がある。そういった取り組みの中で、いじめっ子に良い変化が現れたなら「君はこの頃友達と喧嘩してないね。みんなと仲良くしようと頑張っているんだね。」と努力を褒めてあげる。「自分は今、努力してどんどん良くなっている」と感じるように仕向ける必要がある。
そもそも一部の人間に、他の人間を残忍に扱う権利があるという考え方はおかしい。私たちの社会はすでに女性に嫌がらせをしたり、黒人を非人間的に扱ったりする権利をキッパリと否定した。それなのに何故、子供に残忍な仕打ちをするものをまだ容認しているのだろう。それを認めることはいじめる側の子供に対して「変わっていく力があると思えない」と侮辱していることと同じだ。


いくら先生側、指導者側の人間がしなやかマインドセットの考えを持っていたとしても完全に生徒全体に目を配ることは不可能な場合もあると思う。
数年前にTVを手放してから職場でたまにニュース程度を見るくらいになったが、覚えてる範囲で話をするといじめで自殺した生徒がニュースで取り沙汰される時、学校側の人間は「気付きませんでした」か黙るかの一点張りだったと思う。

責任を逃れるためにも、他の教員や周りに迷惑をかけない為にもそう答えた方が穏便に済ませられるのは間違いないが、実のところどうだったのか。
ただ、大体そういった場合マスコミが下校中の生徒にインタビューをして週刊誌にあがっていたり、予期せぬところから情報が漏れて特定の先生が槍玉にあげられたり主犯格となるいじめっ子などが特定されたりする。今はTwitterで犯人探しをされるケースが多いかもしれない。

この本に書かれてる通り、いじめられる側は小数(もしくは一人)であり、それを庇うと庇った人間がいじめられるというお決まりのパターンを考えると周りもいじめっ子に従う他なくなる。そうなるとやはり学校側で対処してもらうしかない。ただ、この著者の考え方からすると、いじめを見つけて解決するというよりいじめが起きない学校を作る必要があるようだ。

それには学校側の指導方針は勿論のだが、家庭での子供の指導方法も重要だと思う。想像の範疇でしかないが、優劣をつけるところからいじめが始まるなら優れている子がいじめっ子になるだろう。優れているなら内心、高みの見物でもしていればいいだろうと思う人もいるかもしれないが、例えば家庭でレベルの高い教育、結果としての成績を当然のごとく強いられることで生まてくるストレスもあるだろう。

オーソドックスなケースで申し訳ないが、家庭が裕福で両親が医者だったり、有名企業の社長などであれば、親自身が自己顕示欲の塊の可能性もあるだろうし、その背中を見て子供は育つ。要するに家庭での子供の育て方と親のあり方もいじめと全く無関係ではないということだ。

私も今の生活習慣を手に入れる前だったり、こういった本に目を通すまで何に怯えていたのか、そもそも自分が問題だと思っていることに対してストレスを感じる必要がないことにも気づかず、生きてきた。それに、今だってどちら側の人間なのか自分ではわからない…いや、そもそも「私はしなやかマインドセット側の人間だ」と慢心してしまう人はしなやかマインドセットになることを理解できてないだろう。

しなやかマインドセットの人になるということは結果に慢心しない人間になるということだから。

こういった本を読んで、自分の無知を知り、理想に近づこうと努力することはやろうと思えば誰にでもできること。もしお子様がおられて、テストの点数や結果だけを要求してしまってた場合には、この本に書かれてあるとおりテストの結果や成果に注目するのではなく、頑張った努力を褒めるようシフトチェンジすることで学校のいじめ問題もそこから防げるかもしれない。




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