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やすむことは、ずるくない。

なんか、休むことって許されないとできないと思っている。

それは休職に限らず、一日・数日休むだけの場合でも大義名分がないと、なんかずるいという感覚がずっとある。

小学校の時、熱が出たり大けがを負わない限り学校は休めないものだと思っていた。何かと理由をつけて保健室によくいく子が羨ましく、妬ましかった。
成長するにつれて妬ましさは薄れていったけど、「その子は保健室にひょいひょい行ってもいいけどわたしは理由がないとだめ」だという感覚が残った。

中学、高校になってもそれは変わらず、せいぜい家族旅行だから、くらいの理由だったら大丈夫と思えてきた。
(小学校のときは旅行で休むのも本当はよくないと思っていた)

高校2年の夏に、首のリンパ周辺に腫瘍ができ微熱~38度の熱がずっと続いて、学校を休んだり親に車で送ってもらっていたりしたとき、
苦しい半面、なんかちょっと嬉しかった。
お医者さんに「この腫瘍はひきそうもないし、良性か悪性か判断が付きづらいので切除手術をしましょうか」と言われて間もなく、その腫瘍はすっと消えた。
今になっては、「わたしのこころのサインだったのかなあ」と思う。

そしていま、また葛藤している。

以前も少し触れたけれど、今回私は意図的に診断書をもらいに行き・もらい、提出して傷病休暇をとった。
意図的にうつ病になったのではないか、
あの時診断書を上司に渡さなければ病には・休職にはならなかったはずだ、
こらえられるものをこらえないとしたお前はずるくないか、
まだこの問いがわたしの奥の方に居座っている。

だけど、「ずるくない」と言ってくれる人がいる。

「そんなことを言ったら際限なく自分を追い詰めてしまうじゃない」
「むしろ、もっと、自分を大切にしていいんだよ」
「なんにも、ずるくない」
そう言ってくれる人がいる。

やすもう。

わたしの奥の方に居座っている、わたしを大切にできないわたしが背負っているものを手放せるようにやすもう。
それまで、何度も「ずるくないよ」って周りに言ってもらおう。
そう言ってくれる人がいるのだから。

やすむことは、ずるくない。

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この度は読んでくださって、ありがとうございます。 わたしの言葉がどこかにいるあなたへと届いていること、嬉しく思います。

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ソイラテのミルクの上澄みを掬って食べてます。週1くらいでこの世のエッセイ書きたい。(現在不定期) 長い物には巻かれたい。