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ゼロへ~博士の愛した数式~

この本も大好きだけれど、映画も大好き。原作そのままというイメージです。

今もこの映画を流しながら、これを書いています。

次々と真実を衝くようなセリフが出てきます。

わたしは数学は苦手だけれど、「美しい」というのは感じます。

もはや数字よりもアルファベットと記号の方が多くなった長い長い数式。高校のときは恐怖でしかなかった。あれをすらすらと解いていき「できました」という誰かの声は、もはや「君はガリレオですか?」とインタビューしようかという神レベルのものに聞こえました。

高校の時に、「なぜこういう公式ができたか」という解読を、黒板いっぱい使って見せてくれた数学の先生がいました。教科書に新しい公式が出るたびに。「とにかく覚えて問題を解けるようになれ」という先生ではなかったのです。

先生は背が小さかったので黒板の下3分の2しか使いませんでした。小さく汚い右上がりの字で数式を繰り広げていくのですが、黒板いっぱいになると、それは一つのアートとなって目に飛び込んできました。まっすぐな海岸線、砂粒と波と海のように見えました。

「数式は美しい」というのは、わたしにとっては見た目だけの物。でもその深みを知ると、おそらく美しくそして神秘的なものが生まれてくるのではないかと感じています。

虚数iが出てきちゃった時点で、わたしの数学能力には限界がやってきました。イメージが湧かなかった。二乗をするとマイナスになる。それを虚数という。i×iはゼロ以下になる。

そんなことがあるかーい。今まで教わってきて、計算してきたことをくつがえしてきてるじゃん!

「i」はimaginary number。つまり現実にはない。数学はイメージなんだよ!そんなこと、誰も教えてくれなかったじゃん!もう何が何だかわからなくなっちゃったじゃん!

「そういうものだ」と割り切って解くんだよ、と数学が得意な友達には言われたけど、それもまた、最後までできなかった。

数学が好きな人って、国語のいろいろと解釈できるところが嫌い、っていうのだけど、じゃあ数学のくせに「想像上の数」だか「現実にはない」だか知らんけど、どう解釈したらいいかもわからないのはいいのか?といつも疑問でしたよ。

わたしは「ゼロ」から「1」を作り出すこと、生み出すことが好き、といつも言っています。「ゼロ」というのは今世紀最大の発見である、と何かで読んだか聞いたかした覚えがあるのですが、「ゼロ」とは「無」。もしかしたらそこに、わたしが追い続けている「目に見えないもの」が存在しているのではないかと考えています。

「ゼロ」から出なければ、意識せずに「目に見えないもの」と共存していたはずなのに。「ゼロ」を発見して、客観的に「ゼロ」を知ってしまったがために、人間の思考は迷路に入ってしまったのかもね。

覚醒して、惑い、そしてまた戻っていく。今は「惑い」。わたしは「ゼロ」に戻る暇なく、「1」に物事を持って行くことばかりするので、惑ってばかりいます。

映画の最後の方で「無」が出てきます。全く持ってルートが話している内容が理解はできないのですが、すべての考えは「無」に向かっていくのかも。

それは、ブラックホールなのか。全くちがうものなのか。

そこには無数の数式がならんでいて、らせんを巻き、渦を作り、自分自身がその一部となり、すべての答えが感覚的にびしびしとわかる世界があるのかもしれない。

死んだら、その世界へと真っ先に飛んでいきたい。



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