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立秋 ~じゅんじゅんのオカリナから「少年時代」~

【これは大好きなオカリナ奏者じゅんじゅんの演奏を聴いて、イメージした物語です】


「カナカナカナ」という虫の声が聞こえてきた。
立秋だ。
おばあちゃんが漬けた梅干しが、毎朝食卓にのる。

「なつ、おあがり」
おばあちゃんの梅干しは、甘酸っぱい。
わたしが食べるからと、はちみつをいれて甘くしてくれている。

夏に必ず、一週間、北海道のおばあちゃんちへいく。
さっぱりとした北海道の夏。最近は暑い時もあるけれど、東京にくらべたらまだマシだ。
小さい頃は母と一緒に来たけれど、今は一人でやってくる。

「おばあちゃん。何才なったか覚えてる?」
「わすれた」
「82才だよ」
「そうか。あんまりちゃんと数えてないからわからん」
「そうか、それもいいね」

そんな感じでしゃべって朝ごはんとなり、片付けて畑に出る。

「おばあちゃん、お昼何食べる」
「なすがいい塩梅だよ」
「じゃあ、天ぷらそば」
「ピーマンとしそも取っとくか」
「そうだね。おいしいね」

部屋をかんたんにそうじして、昼ごはんの用意をゆっくり始める。

「なつ、おあがり」
ふたりでそばをすする。
「おばあちゃん。おいしいね」
「だな」

おばあちゃんは、そのあと1時間ほど寝る。
わたしはその横で、何もしない。
ぼーっと横たわって、空を見る。
青い空に入道雲。
自分の家でみる空よりも、断然大きな空だった。


82歳のおばあちゃんと、二十歳のわたし。
高い空を見上げるわたしと、その空の下の縁側でいびきをたてて寝るおばあちゃん。


おばあちゃんは、わたしが赤ちゃんの時に、働く母の手伝いのためにしばらく一緒に暮らしていた。赤ちゃんの頃なので、あまり記憶にない。おばあちゃんとの記憶は、もっと大きくなってからの昼寝だ。

「ほれ。寝ろ。あっついから、こういうときは横になったがいいよ」

床をひたひたと這ってくる風を感じながら寝る。おばあちゃんもわたしの横で寝る。すぐにいびきが聞こえてきて、ぐっすりと寝る。母と違って、くっつきたい体ではなかったが、いつも耳をそばだてて、呼吸を聴いていた。

母よりも30才近く年上のおばあちゃん。母よりもこの先は長くないのかな、とふと思った記憶がある。呼吸の一つ一つがそのゴールに向かっているのかと思うと、聴かずにはいられなかった。絶え間なく感じる鼓動が、生きている証と同時に、こわかった。

いつのまにか寝入り、起きるとおばあちゃんはすでに起きていた。

「なつ、おあがり」
乳酸菌飲料と、トウモロコシ。
乳酸菌飲料と、スイカ。
乳酸菌飲料と、かき氷。

おなかが崩壊しそうな組み合わせが、平気で出てきた。わたしのおなかはおばあちゃんのこの献立で強く鍛えられた。おばあちゃんは夕飯の支度だなんだと、ごそごそ動き回っている。

その日々の繰り返し。

北海道に戻ってからは、年に一度のわたしの訪問を楽しみにしているのかしていないのかさっぱりわからない感じで、いつも出迎えてくれた。

「なつ、おあがり」
昼寝から寝ぼけて起きると、おばあちゃんがトウモロコシをわしわしと食べていた。
北海道のトウモロコシは、甘い。
「なつ、夕飯はあんたが食べたいものをつくり」
近所の小さなスーパーでお肉を買う。焼く。
焼いたとたんにおばあちゃんは隣の人と話し込み、暗くなってから家に入ってきた。
すっかり冷めた肉を口にいれて
「あんた、馬肉でも買ったんか」
という。
「違うよ。おばあちゃんがとなりのおばちゃんと長話するからだよ」
「そうかそうか」
と言って、おばあちゃんは笑った。

東京に帰る時はいつも、家の前でさよならする。
「おばあちゃん、東京来たら?」
と、声をかける。
「いらんいらん」
と、おばあちゃんは微笑んで大きな大きな手を振る。

とても肉厚で大きな手で、こども6人をぺしぺしとひっぱたきながら育てた。

今となっては、おばあちゃんよりも20センチも背が高くなった私。もちろんおばあちゃんにひっぱたかれたことはなく、母にいつも
「おばあちゃん優しくできるじゃないの。ほんとに無駄にこわい母親だったのに」
といわれていた。

孫で良かったと思う。

「なつ、おあがり」
思えば、母にものすごく怒られて外に出されたとき、そういってそっと窓からわたしを引き入れてくれたのは、おばあちゃんだった。たまたまおばあちゃんが遊びに来ていたときなのか、下の弟が生まれた時のことなのかは忘れてしまった。
一滴の涙もこぼさずに、怒り心頭で外に立つ私に、寝泊りしていた和室から手をこまねいているおばあちゃんをみたら、涙がぽろりとこぼれた。
「お母さんも、一生懸命だからな。ちょっと、ここで休み」

ふすま一枚の向こう側で、テレビの音と、湯呑みをテーブルに置く音が聞こえた。
声を出すと向こうに聞こえてしまうので、必死に我慢した。おばあちゃんが出してくれたタオルで口をふさいだ。
大きな波がうねるようにして、嗚咽が背中から襲ってくる。おばあちゃんはずっと背中をさすってくれていた。
そのままおばあちゃんの部屋で寝たのだと思う。
起きたら、そこは新しい一日の始まりで、みんな忙しそうに朝の支度をしていた。

92才の立秋の時。
おばあちゃんは亡くなった。
「おばあちゃん」
と棺桶の中にいるおばあちゃんに声をかけた。最後に手を握ったのはその時だ。
ただの形となったおばあちゃんの手。
あまり握ったことがなかった。
もっと握っていればよかった。

火葬場のけむりがあがり、わたしは「カナカナカナ」と鳴くひぐらしの声を聞いた。
煙に手を振った。

「おばあちゃん、自分で天におあがりになってるよ」

見て。おばあちゃん。
わたしの手は、おばあちゃんの手にそっくりだよ。
また、いつかね。
また、いっしょに、昼寝しよう。
ありがとうね。


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