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Halloweenとセイラム魔女裁判(3)

Halloweenで賑わうニューイングランドSalemで17世紀末に起きた魔女裁判(1)(2)の続き最終回(3)です。



魔女裁判:事件の経緯を追う

Salem Witch TrialsのサイトにおけるInitial events、Overview、Spectral evidence、Touch test、Other evidenceなどの項目に事件の経緯、詳細が記されています。New England植民地時代に起きた事件を民衆の目線で描いており、アメリカ史を再考する上で貴重な資料です。[3]読んでみましょう。難しい用語がありTOEFL iBTテスト上級レベルのリーディングです。以下概要です。

1692年当時のSalem VillageとSalem Town(Wikipedia)

Salem Villageで1692年2月、Samuel Parris牧師の9才の娘Betty Parisと11才の姪が、「てんかん発作や自然の病を超えた」[4]発作に見舞われます。D eodat Lawson前牧師は少女たちが奇声をあげ、家具の下を這い、独特の姿勢で体をよじ曲げたとの目撃情報を寄せます。少女たちは針のような物で刺されたと言いますが、村医はそのような形跡はなかったと述べています。しばらくすると他の少女たちにも同じ症状が現れ、Lawson前牧師自らも奇声を聞いたと証言します。

そ して、Sarah GoodSarah OsborneTitubaら3名の女性がこうした症状を引き起こしたと疑われ逮捕されます。Sarah Goodは、極貧で立場が弱く、「天国に導くのではなく地獄へ落とす」かのように子供を叱り、ピューリタン的自制心に欠けているとして一方的に魔法使い(witch)の烙印を押されていました。Sara Osborneは、教会に集うことは稀で、出入りする使用人と再婚し、前夫が息子たちに残した遺産を横取りしたなどとの噂を立てられていました。Titbaは西インド諸島出身の奴隷で、この村では異人種で異文化の女性です。西インド諸島に伝わる魔法話 (Malleus Maleficarum)をBetty Parrisらに話して魔法をかけたと訴えられます。これら3名の女性は、ピューリタン社会では異質で、社会的、経済的な地位が低く、抵抗する術も無く、噂だけで魔法使い(witch)のレッテルを貼られたのです。

Salem Village (The Vengeful Puritans of Salem Village, Legends of Americaより)

こ れを皮切りに、Salem Villageをはじめ周辺の村々でも、多くの人々が次々に魔法を掛けたとして訴えられます。村の下級判事(the magistrate)に訴えられ、投獄され、Salem Townの裁判所の法廷(The Court of Oyer and Terminer)で裁かれました。霊的証拠(spectral evidence)、発作に罹った人に触れさせて発作が引くかどうかを確かめるタッチ・テストtouch test、悪魔の印としたほくろ(moles)やあざ(birthmarks)などの検視が主たる証拠です。

し かも弁護人無しで、被疑者本人が弁解(plea) しなければなりません。81才のGiles Coreyはあまりにも無謀な逮捕に抗議し弁解(plea)を拒否したので体に石を置かれる拷問にかけられ悲惨な死を遂げます。恐怖のあまり、罪状通り同意し、かつ、全く関係もない人の名を挙げ釈放されたケースもありました。被疑者を擁護したり、被疑者の関係者であったりすると嫌疑をかけられてしまうのです。最初はまさか訴えられないと思っていた教会メンバーはおろか牧師までもが告げ口されて逮捕されます。こうしていたいけな5才の少女を含む罪なき19名が魔術を使ったと訴えられ処刑されてしまうのです。何かとトラブル続きのSalem Villageは、2つの家族の対立で2分され喧嘩が絶えなかったようで、この件でも互いを訴え合ったと想像します。

L ist of the People of the Salem Witch Trials (Wikipedia)に処刑された犠牲者19名が処刑されるまでの経緯が記されています。クリックしてください。

B ridget Bishop, Sarah Good, Rebecca Nurse,  Elizabeth Howe, Susannah Martin, Sarah Wildes, Rev. George Burroughs,  George Jacobs Sr.,  Martha Carrier, John Proctor, John Willard,  Martha Corey (wife of Giles Corey), Mary Eastey, Mary Parker, AliceParker, Ann Pudeator, Wilmot Redd, Margaret Scott,  Samuel Wardwell Sr.,

日 本では元禄時代(1688-1704)真っ只中、徳川綱吉による殺生を禁じた「生類憐れみの令」[5]が発令された頃の1692年、太平洋の向こうの北米大陸の東部Massachusetts Bay Colonyではこんな悲惨な出来事が起きていたのです。

その後排他主義は薄まり魔女裁判の被害者子孫が先祖の名誉回復

こ の事件の主たる原因はピューリタン入植地Massachusetts Bay Colonyにおける排他主義(separatists)であることは間違いありません。ただ、アメリカは広大で、New Englandはその一部に過ぎません。その後多くの国々から大量の移民がそれぞれの夢を抱いてあちこちに定住しそれぞれの文化を広げます。魔女(witch)や魔法(witchcraft)に関する考え方も当然変化します。Halloween (Library of Congress Blogs)と称するサイトには、民族多様性がHalloweenを現代のお祭りに変え、SalemがHalloweenの聖地のようなっていく経緯が書かれています。今では世界中に広がり、日本でも10月の一大イベントになっていますが、それと共に形も変わっていくでしょう。Salem Witch Trialsで有罪とされた被害者の子孫はその後アメリカ政府に訴えて無罪を勝ち取り名誉を挽回しました。そしてSalemには事件が空洞化しないよう永遠の反省を込めてSalem Witch Trials Memorialsの碑が建てられています。Halloweenが安心して楽しめることを祈りつつ。

Salem Witch Trials Memorialsの碑

事件の影響は100年後のアメリカ文学巨匠Nathaniel Hawthorne (Britanica 1804-1864)が活躍した19世紀にも暗い影を残していました。次回「Halloweenで賑わうニューイングランドSalemで17世紀末に起きた魔女裁判(4)」ではSalem出身のNathaniel Hawthorne著名作『緋文字』The Scarlet Letterと魔女裁判との関連を探ります。

「Halloweenで賑わうニューイングランドSalemで17世紀末に起きた魔女裁判(4)」に続く



付記(2024年9月)


本稿(1)(2)(3)はTOEFL , SAT, GRE,などアメリカ留学準備中の読者を対象に執筆したもので、歴史用語・地名・人名などなるべく英語で表記しました。英検準1級や1級そして難関国立大学二次試験や難関私立大学入試の英語を勉強中の読者も、是非本稿で引用している英語サイトに目を通すとよい勉強になります。全部無料サイトです。アメリカ歴史、文学、政治、経済を学ぶ上でよい勉強になります。


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