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二百十日~風を鎮める祈りと感謝の祈り~

二百十日|雑節


今日は立春から210日目。
台風など風が強まる時期。

立春から210日。


自然とともに生きている日本。
先人は大切に後世へ
意識する日を教えてくれている。

八朔と風祭


この時期本土は稲の開花時期。

風の被害を乗り越えるため
各地では八朔(旧暦8月1日)の頃行われるのが
『風祭』

風祭


ちゃんと自然のリズムを知り
ともに生きるすべを先人たちは考えた。


そして、
人間だけでは解決できないことを
お祭りとして祈りを捧げる。

風が鎮まるように。

そして風があるからこその感謝を。

そして豊作を祈願する。

まだ山あいの地域にはこうした行事が残っている。
大切なことを行事として残していってくれている。
自然とともに生きるからこそ大切なこと。

台風は自然のバランスを保つ


台風は海をかき混ぜ
海水を循環させてくれる。
海水温が下がればまた
サンゴたちも生きてゆける。
そして防波堤となり私たちを守ってくれる。

サンゴは植物のようで動物。
でも植物と同じように二酸化炭素を吸収して、酸素をつくり出す働きがある。
実は植物よりも多く酸素をつくっているとも聞いたことがある。
波を防ぎ、魚たちの隠れ家をつくり、酸素をつくり・・・
海にはなくてはならないものなんですね。

「サンゴが教えてくれたイラヨイ」https://note.com/nuchinuutou/n/n1e0010efc5c5


自然への畏敬の念を忘れてはならないことを教えてくれている。

僕らは自然とともにある。


まだまだ気になるこの時期

八朔は旧暦8月1日。
二百十日と合わせて二百二十日も雑節として残っている。
田の神に感謝し(八朔)、風の神に感謝する(風祭)。

稲はそれだけ私たちの暮らしにには欠かせないもの。
生きていくための糧。

八朔、
「田の実の節供」というのも今回初めて知った。
初穂を大切に扱う。
そして、「田の実」は「たのみ」=「頼み」でもあるそう。
人の力では及ばないものへ最終的に「頼む」ものでもあるのかもしれないですね。

さらに、「節句」はもともと「節供」ということも知り、

節供=季節の変わり目にあたる祝いを行う節日せちにちに、供御くごをお供えする。

まだまだ奥深さを感じる。

「八朔」を大切に過ごし、自然の厳しさを教える「二百十日」「二百二十日」を越えてゆく。

そして実りの「十五夜」。

すべてつながっている。

さらに、遡れば、
「お盆」からの「八朔」。

沖縄の暮らし百科を見ると、
お盆後の【亥の日】には、
「ウンジャミ」「シヌグ」が行われる。

亥の日は、八朔(新月)の直前なのかもしれない。

「ウフユミ、ウプユミ」というように「大折目」ともされているそう。
「大きな節目」なんですね。

旧暦が成立する前には、この時期が一年の区切りとされていたという説もあるそう。

沖縄では農作業が一段落するこの時期に、年越しを行なったのではないかとも考えられている。

節目であり、新たなはじまり。

「シヌグ」は「凌ぐ」であり、
稲の古称とも関係するそうだ。
そして、「踊り」を意味するのもまた興味深い。

行事を日本全体で見たとき、すべてがつながっていく気がする。
アイヌの文化も見たらさらにおもしろそうだ。
本当に先人は大切なことをいろいろな形で今へと残してくれている。

自然とともにある。

和のこころはここにあるのだとあらためて思う。

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