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世の中に無駄な経験はない?

せっかくの休日に、駄作映画を見てしまった。
1時間46分と2,000円が飛んだ。

具体的な名前を出すのは避けるが、正直見てられない冗長な映画だった。何度、腕時計に顔を近づけて、時間を見ただろうか。
「なかなか展開がないな、まだ序章?」と思いながら時計を確認したところ、1時間10分ほど経過していることが判明。
「あぁ、やっちまった」と深く悲しんだ。

私が観たのは恋愛映画だった。
キャッチコピーに使われていたロマンティックなフレーズが、セリフとしてたくさん使われていた。しかし、それを裏付ける経験が何も示されておらず、ふわふわとした話だなあと思いながら見ていた。

ただ、私の隣の女性は私が時計を見始めた頃から最後まで号泣していたので、きっと刺さる人には刺さる映画なのだろう。
映画のストーリーと同じ経験をしたことがある人が脳内で補完しながら見る映画なのかもしれないと、結論づけた。

とんでもない映画を見てしまったなぁと思い、エンドロールが始まった瞬間、席を立った。

時間は有限だから、つまらないものは避けたいし、ベストなもので埋め尽くしたい。
そう考える今日この頃。

しかし同時に、そう考えていたら逆に何もできなくなってきていた。
自由時間ができた時も、これでベストと言えるのか?という気持ちになり、1日のスケジュールがなかなか立てられないことがある。
最近は気軽に本も読めなくなっていた。
「読み始めて、飽きちゃったら嫌だなぁ」という気持ちがあるからだ。
かつては気軽に本屋に立ち寄っては、面白そうな本をパラパラ見て買う、みたいなことをしていたのに、今は確実にベストと思える状態にならないとなかなか手に取れない。


『センスはジャッジの連続から生まれる』と、最近読んだ本に書いてあった。


センスを磨くにはいいものと悪いものをジャッジしていく必要があるらしい。
つまり、いいものだけ見てても、センスは磨かれない。

たしかに、思い当たる経験はあった。
音楽をやっていたが、楽器の演奏について「これは上手いのか上手くないのかわからない」と言われることがある。
上手いものも、伸び代があるものも両方聴いたことがあるから「これはめちゃくちゃ上手い」と言えるのだ。
何てことなく鳴っているこの音を綺麗に出すことがどれだけ大変なのか、いろんな人の演奏を聴いたことがある人じゃないとわからない。

どんな作品が自分の中で好きだと感じるか、
「いいもの」がいかにして「いいもの」なのかを理解するには、「つまらない」という判断があってこそなのだ。

見たものが面白くなかったとしても、それは一つセンスを磨いたと思えばいいのではないだろうか。

自分がいいと思える作品があるのも、きっと数々の駄作とジャッジした作品があったからではないか……?

ある程度事前のジャッジもした方がいいが、
変にクオリティばかり求め過ぎず、いろんな作品に手を出してみることも必要なのかも。

これに気づけたので、この映画を見たことは良かったのかもしれない。
こう言い聞かせて、今週の休日は終わった。

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