中学生バンドの活動
それまでのお話はこちら
<1>音楽との出会いは
バンドをはじめた当初(小6~)は、バンドブームの(1980年代)時代。
ひたすら色々なロックバンドの曲をコピーして練習!!!
洋楽は レッドツェッペリン、エアロスミス、ガンズ、ACDC、などなど、、、邦楽は ラウドネスやらアースシェイカー、、、女性グループだと、SHOW-YA、浜田麻里、プリンセスプリンセスか。
そのようなグループの曲を沢山コピーしたなぁ。
そういえば、X Japan(当時はX)がトゲトゲ頭で大阪のバーボンハウスに出演していたのもこの頃か。
初めてのコンサート体験は、中学1年生の頃。
ロックバンドを始めたという私を 大阪南港で開催された野外ロックフェス 「SUPER JAM'88」に母が連れて行ってくれた。アンコールまで見てると電車に乗れなくなるぞと言われ、渋々会場を後にしたことを覚えてる。
そのころからすでにオリジナル曲を書くという野望が芽生える。どうやって入手したのかは覚えていないのだけれど、今は幻の TASCAMの4トラック・カセットMTRで多重録音に没頭。
オリジナル楽曲に対する執着は、このころから始まっていたようだ。
はじめてのライブ出演は中学2年生のころ。市の教育委員会が主催の学生を対象とした音楽ライブイベントへの出演だった。学生といっても、高校生・大学生が対象で、メンバー2人=中学生ということがバレて補導、、、学校へ通報され、こっぴどく叱られたのだった。
その時対バンで知り合ったバンドマン達と意気投合、新たな音楽仲間との出会いとなったのでした。
お化粧を覚えたのもこの頃。Tちゃんは会う度にアイラインの引き方や、マスカラのつけ方などを教えてくれたのだ。
うーん、今から考えるとやっぱりおませ。
当時は、いろいろなバンドコンテストが流行っていたので、それこそ色々なコンテストにも応募。YAMAHA主催の BAND EXPLOSION では大阪大会に進出、特別賞を獲得。審査員の一言は、「中学生?!?」そうなのです。早熟でした。完全に年齢からくる特別賞('◇')ゞ
中学3年にもなれば、ライブやイベントへの出演も増え、活動に勢いがついていた。そんな中、バンドを始めるきっかけとなった兄ちゃんと彼女ボーカル(以下Tちゃん)のお付き合いが破綻、、、
結局、主要核であった兄妹2人が脱退となってしまった。
バンド活動危うし?!?
な、わけもなく、、、
Tちゃん(大学1年)と私(中3)でバンドを存続することに。
対バンで知り合った音楽仲間の紹介で、ロック好き女子高生(高2)のベーシストとドラマーが加入することになり、4人で活動を再スタート。
気が付けば、中学生は私一人に。。。
当時流行っていたのは、城天。大阪城公園のストリートでのライブ。東京でいうと原宿のホコ天。
城天でライブをするには、ちゃんとしたデモテープがないと!ということで、本格的なデモテープのレコーディングをしようと、初めてスタジオで録音に臨んだのだった。
その時のデモテープの表紙に使用していた写真がこちら・・・
ケ、、、 ケ バ イ 、、、
な、、、 なつかしい 、、、
左からドラマー(高2)ボーカルT(大1)わたくし(中3)ベース(高2)
貴重な1枚。SHOW-YAや浜田真里を匂わす、確かにロックなギャルバンだ。
デモテープをきっかけに、城天ではちゃっかり人気バンドのステージに参加、今は名前が変わってしまったが、大阪西九条にあったライブハウス、YANTA鹿鳴館などへ出演。
活動の幅を広げていた中学生時代でありました。
つづく