見出し画像

音楽との出会いは

コロナ禍で本番の数が激減し、自宅に引きこもり制作仕事をしていると、時折、音楽をはじめてから今までの活動の思い出が頭によぎる。

なんて幸せな日々だったんだろう。
小学校に上がった娘は、これからどんな日々を送るのだろう。
本当に大変な世の中になったものだ、、、とつくづく思う。
新しい生活様式、、、 そんなの全然わからないな、、、

今の子供達にも私が過ごしてきたように、実際に沢山の人と出会い、コミュニケーションを通じて、色々な経験をしてほしいなぁ。バーチャルの世界だけには決してなって欲しくない。画面越しの世界に支配されて欲しくない。心からそう思う。


ということで・・・ 私の音楽との出会い を思い出してみようと思う。


12歳の夏。(小学校6年生)クラブ活動はバスケット部。なかなかの活発女子だった。

同級生友人の家に遊びに行くと、バンドマンのお兄ちゃん(当時高校生)がドラムを叩いている。お兄ちゃんに憧れている友人は、お兄ちゃんのみたいにバンドをやりたい!という。

お兄ちゃんは「いいか、バンドで楽器を担当するは奴は仲良しが一番いいんだ」 そう言って遊びに来ていた私に、何を担当する?と聞いてきた。妹はもちろん、憧れのお兄ちゃんと同じドラム。そして友人である私は、ギターかベースのいづれかを担当しろということだった。
まだ6年生の私は、ベースという存在についてイマイチよく理解していなかったため、とりあえず「ギター」と決めたのだった。
その時はなぜかボーカルについては触れられなかった。きっとバンドを結成してもすぐに演奏できないから、ボーカルは後でということだろう。

1980年第後半当時、第二期ジャパニーズ・ヘヴィメタルブームの全盛期で、お兄ちゃんのバンドは当然ハードロックバンド。ということで、なぜかロックを演奏することになっていた。

自宅に帰り、母に「バンドでギターをやることになった」とおもむろに伝えると「わかった」と。
バンドでギターをやるっていったって、まず楽器を持っていない。
クラシックギターで、禁じられた遊びを弾くわけではない。エレキでギャイーン!と、、、である。

話をした数日後、レッド・ツェッペリンのジミーペイジか?!はたまたガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュか?!? というような黒のレスポール(エレキギター)を背負った母が仕事場から帰宅した。
会社の同僚が昔バンドをやっていて、使わなくなったギターを3千円で譲ってくれたというのだ。

その日から、晴れてロックギター少女デビューを果たしたのだった。
あぁ、おませな12才の夏。

バンドを始めたことを知った小学校のバスケ部顧問の先生が、実は元バンドマンで、ギターのエフェクター(ディストーション、リバーブ、コーラスなど)のお下がりを放課後に沢山持ってきてくれた。
今の時代には考えられないことだけれど、熱心な先生は生徒の放課後の音楽活動も見守ってくれた。

ベースも仲良しの同級生に決まり、まずは演奏できるようになるまでひとしきり練習。なんせみんな初めてなわけで、、、1曲演奏出来るようになるまでは3人でひたすら練習。6年生の間は、とにかく集まって楽器の練習をするという日々だった。


中学になった夏休み、父が経営するデザイン会社でアルバイト(お手伝い)をし、お小遣いを貯めて初めて自分で Fender Japan の白のストラトキャスター(エレキギター)を購入。残念ながらすでに手元には無いのだけれど、、、止む負えない事情で手放したことが悔やまれる。(´;ω;`)ウッ…

いつものようにドラムの友人宅で集まっていると、お兄ちゃんが彼女を連れてきた。高校一年生の小柄で美人な彼女は、とても歌が上手いのだと。
暗黙の了解で、お兄ちゃんの彼女がボーカリストとして加入することに。こうして4ピースのギャルバンドが始まった。

と思ったら、やはりまだ中1。同級生でベーシストに指名されていた友人がが脱退、なぜかドラマーであった友人のお兄ちゃんがベーシストとなり、バンドのメンバーとして参加。

ボーカル=お兄ちゃんの彼女(高校2年生)
ギター=私(中学1年生)
ベース=友人のお兄ちゃん(高校2年生)
ドラム=友人(中学1年生)

このような形で、一応ちゃんとしたバンド活動がスタートしたのだった。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?