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ゴールデンカムイ現地学習 〈硫黄山〉

2024年5月に行きました。

硫黄山は、道東の弟子屈(てしかが)町 川湯温泉にある山。
アイヌ語ではアトゥサヌプリ(裸の山)。
近くには、アイヌ語由来の「跡佐登(あとさのぼり)」という地名もある。

硫黄が産出されるので、明治の頃は硫黄の一大採掘地だった。
ゴールデンカムイでは12巻119話「コタンコㇿカムイ」に出てくる。
都丹庵士が視力を失う原因となった場所だ。

白石曰く

あたりから絶えず吹き出す亜硫酸ガスってのは採掘者の目を侵すんだ
硫黄採掘にかり出された囚人たちは失明する者が続出
明治29年に囚人の採掘が中止されるまで、たった半年間で42人もガスで死んだそうだ

ゴールデンカムイ12巻119話「コタンコㇿカムイ」
白石由竹 談

との事。
史実として、失明については弟子屈町のサイトで、半年で42人が亡くなった件については摩周湖観光協会のサイトで読む事ができる。
名寄市立大学のアーカイブには更にもっと詳しく書かれている。

弟子屈町のサイトによると
明治10年 採掘開始
明治18年 経営者が代わり、囚人動員開始
明治20年 硫黄運搬のため鉄道が敷かれる
明治29年 ほぼ掘り尽くして休鉱となり鉄道も休業となる
との事。
そのあとも細々と採掘はされ続け、昭和38年に完全に閉山する。
(金カムに出てくる明治29年以降の話は、野田先生の創作なのか、私が資料を見つけられないだけなのか、史実はわかりません)

硫黄山の歴史は、北海道の過酷な囚人労働の歴史とリンクする。
特に名寄市立大学のアーカイブを読むと、当時の酷さが伝わってくる。

「硫黄ノ採掘ニ従事セシモノハ、鉱山自体ヨリ噴出スル蒸気ト共ニ、常ニ其付近ニ亜硫酸瓦斯ヲ発生スルコト多キト及硫黄採取ニ際シ粉末竄入ノ刺戟トニ因リ視器ヲ害スルコト頗ブル多ク、出役者ノ過半ハ眼疾ヲ患ヒ、次テ失明ノ不幸ニ陥ル」

監獄内における福祉的活動はなぜ生まれたのか
―「近代化」と北海道における福祉についての試論―
名寄市立大学 江連 崇
より一部抜粋

北海道の発展の歴史と囚人労働には、切っても切れない関係がある。
そりゃあ都丹庵士の心もあんな風になってしまうよ。

硫黄山を散策する。

硫黄山はとにかくもくもくしていて、辺り一面に立ち込める硫黄の匂いが体の内外に染み込んでくる。
現代では温泉街のような、心地よい非日常を感じる匂い。ゆで卵の匂い。

登別地獄谷も硫黄の匂いと蒸気でもくもくしてるけど、登別は安全なところまでしか行かせてもらえない。
けど硫黄山は、ここまで近づいていいの?と驚くような場所まで行って、お湯や蒸気に触れる事ができる(火傷は自己責任)。
熱い蒸気が勢いよく出てる噴気孔や、熱湯が湧いている所。
地球の火山活動をダイレクトに感じられる。

噴き出す蒸気(熱かった)
湧き出す熱湯(熱かった)

敷地内には「硫黄山MOKMOKベース」という施設があって、お土産コーナーや飲食コーナーがある。
その中にはプチ博物館みたいなスペースもあって、硫黄山の簡単な歴史を学べるようになっていた。

説明パネルの一部
当時の道具

説明パネルはわかりやすかったんだけど、ただ、囚人労働に関する記述がもうちょっとあってもいいんじゃないかな…と思った。
明治18年に新たに経営を任されたという山田氏についての説明、

山田は1852年に現在の福井県内に生まれ、銀行業なども手がける気鋭の実業家でした

山田は鉱夫を増員するとともに、囚人を安い賃金で使役するなどで生産量を倍増させました

説明パネルより抜粋

と書かれていて、この書き方だとまるで囚人労働が名案のような、手柄のような印象を受ける。

そして遡って硫黄山のはじまりについての説明も、

硫黄山での採掘は、1876(明治9)年、漁場持(場所請負人)制度が廃止されことにより、収益源となるさまざまな権利を失ってしまった、四代目「佐野孫右衛門」が新たな収益源を模索し、事業を開始したことにはじまります。

説明パネルより抜粋

と書かれていて、うーん…と思った。
場所請負制(ばしょうけおいせい)はそもそも江戸時代に松前藩がアイヌ民族の方々等に対してかなりの悪条件で取り引きや雇用をした制度で、確かにそれによって北海道は発展したのだけど、決して手放しで褒めていい制度じゃない。
江戸が終わって場所請負制がなくなってもそのままの権益を保持するために続いたのが漁場持(ぎょばもち)制度で、それが廃止された事にはむしろ良い面があって、だから「さまざまな権利を失ってしまった」という書き方はどうなのかな…とか。

当時硫黄を精製していた道具や、硫黄を運んだ汽車のレプリカは見応えがあって凄かったけど、説明パネルに関してはもう少し踏み込んで欲しい気持ちだった。
硫黄山の歴史について、このパネルだけで触れた人は、功績をたたえる説明の裏にある黒い部分を知らずに終わってしまう。
北海道民としても、ゴールデンカムイファンとしても、何とも言えないもやもやした気持ちになってしまったのだった。

とはいえ硫黄山は本当に大迫力なので、道東方面に行くファンの方々には、行けたらぜひ行ってみてほしいです。

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