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心理的安全性という名の免罪符

先に言っておきますが、内容はめっちゃ浅いし薄いです。
でも、なんか猛烈に書き殴りたい!ってなって、そういえばコレ(タイトル)で一本書こうって思ってたんだというのを思い出したので、書いてます。

もう3ヶ月以上前の出来事でうろ覚えになりますが、自分より年上の人から「今の発言は心理的安全の観点から考えると良くない」みたいなこと(以下、アドバイス)を言われたのがきっかけで上記のようなツイートを残しました。
当時は「そんなこと言われたら何も言えないじゃん」という気持ちになったな、というのは覚えています。
とはいえ、それほどまでに酷いことを自覚なしに言っていたかも知れないので、その場ではおとなしく話を聞いていました。

この件に関して改めて思うところは、心理的安全性を高めたいときには心理的安全性という言葉は控えたほうが良いのではないか、ということです。

言葉自体にちょっとしたパワーがあるような気がするので、圧を感じてしまいます(これは自分のような人だけかも知れません)。
先述のアドバイスを言い換える例としては、「今の発言は正論かも知れないけど、○○という気持ちを無視してるよね。少し言い方を考えたほうがいいと思う」とかでしょうか。
言い換える前だと、なんというか、心理的安全性を高めるために気をつけたほうがいいよというアドバイスのはずだったはずなのに、自分の主張を通すための道具(免罪符)になってしまっているように感じてしまいました。
心理的安全性という言葉を使わずにアドバイスをしていたら、「あ、そうか。○○という気持ちをちゃんと考えられてなかったな」という感じで、本質的な気づきを得られていたかも知れません。

心理的安全性という言葉に限らず、他のあらゆる言葉でも似たようなことはあるかと思います。
抽象的な言葉はコンテキストが一致しているときには便利でしょうけれど、そうではないときには具体的な言葉でコミュニケーションが取れるといいんじゃないかな、と。

以上です。最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

たぶんよろこびます。よろです。