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ちょっとしたこだわり

今回は個人的な話


ちょっとしたこだわりでもあるが
僕は「自己肯定感を上げよう」という言葉はできる限り使わない様にしている。
注:基本スタンスです。使うときもあります。



というのも、愛されたい人に愛されなかったはて、認めてもらいたい人に認めてもらえなかったはてに、失敗続き、そんな中でここまで必死に生きてきた人に対して自己肯定感を上げようだなんて、逆にその人を否定していると言うか、少し無責任かなって感じるときがあるから。
むしろ、そんな中で生きてきたんだから自己肯定感が低くて当たり前じゃないのかと、十分強く生きてきた姿じゃないかと


止まらぬ涙と
暗闇を引き連れて

君は僕の前に現れた。
その絶望が僕らを繋げる

どうしようもない
この世界で自ら背中を押してきた君は十分に君を肯定できている

始まりでも終わりでもないこの一瞬が君と僕とを繋いだ

どれだけ冷たい視線にさらされようが
今まで生きてきたんだ
十分、君は君を肯定している
だから、こうして僕等は出逢えた。お互いの冷たい悲鳴を頼りに出逢えたんだ。

※久々に詩的に書いてみました
最近ポエム書いてなかったので(笑)



じゃあ何て言うの?ときたら
「ソーシャルスキルを高めよう」
「生きていく力を付けよう」
そんな感じの言葉を使っています。
と、答えたいところだが…
まあ、これも実はすごい抽象的な表現なんだけどね…そもそも、どんな環境で生きるかで必要な力は変わってくるしね…

因みに営業をしていたときも社長がよく言われていました。「手に職をつけろ」


具体的な言葉や正論は時として人を傷付ける刃となるが
しかし、言葉の抽象度を高めていくとこれもまた、無責任な刃になりかねない。
結局、どんなに言葉を探しても適当なものは見つからない日々


やっぱり、言葉は万能じゃないよね
ただ言葉にばかり気を取られると今度は言葉狩りというか、言葉以上に大事なものを見落としがちになるから難しいところだが

ここまでグダグダ書いておいて
まあ、最終的には“関係性“だと思っている
ただ、個人的にはもう少し説明が上手くなりたいなと思う日々
やっぱり、どうも早口になりがち…

※メイン写真は加古川市平荘町です。