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#日記
クッキーを受け取る気持ち
今、こんなに自由な時間があるにも関わらず、結論も出なければ考え足ることもない。こうだな、これが心地よいな、こうしていこう、と思い、数分後には正反対のことを思う。中学生の恋心を連想する。何が正しい訳でもないし、どれだけ考えても決まることなど無いのだと思う。
ただ、どんな時でも自分の中で確固たる気持ちがあり、それが、自分を大切に思ってくれる人間は大切であるということ。
近日のある日、本当は早起きを
友人への説明責任の話/國松中也賞おめでとう
実に一歩進んで、二歩下がる。
もちろんとんでもなく前に進んではいる部分はあるが、自分の長所と見ていた点への苦手意識が今はある。
なんとも、こまめに言葉にして自分の真意を確かめるような人との対話が減ったからなのか、ふと思っても無いことを口走ってしまうこと、また、人をおそらく必要以上に怖がってしまうことなど。
現に、少し前の自分から更新の無い友人知人との接点は、更新情報の説明責任があるにも関わら
言葉に邪魔されながら言葉に力を借りる
自分の中に、複数の人格があるのでは無いかと感じる瞬間がある
実際には、その複数の人格がそれぞれ独立していて干渉しないような所謂「多重人格」ではない。全て自分である自覚もあるし、それぞれを横断して存在する価値観もあり、かつ、バッチリ干渉し合っている。
ただ、自分が何かの事象に関わった時、”環境に合わせている”というよりは、”心底納得する、共感する”、ところから”こちらが自分なのではないか”という
知っていること≒信頼すること、か
人の遍歴や過程を知っていることとが人を信頼することとおよそ同義となるのか
人の遍歴や過程を知らずに人のある一部の行動を見た時、自分の過程で固めてきた基準からすると信頼に当たらないと感じること/相手に感じられることがある
遍歴や過程を知っている人からすると、それが全く信頼を損なう内容であるようには思わないし、そもそも行動が読めるし行動の意図も理解ができるのでそれにより信頼を裏切られたと感じること