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副業で26歳年収2000万円達成からの28歳どん底生活スタート

初めまして。私はシンガポール在住のなおと申します。
タイトルの通り、私は30歳手前になりどん底生活をスタートすることとなりました。成功するには失敗はつきもの、という言葉を念頭に、またこれからやり直そうと決意したためこのNoteを始めました。目標は1年後にシンガポール(他の国も可)と日本のデュアルライフをできるだけの収入源を作ることです。

まず初めに今までの私の生い立ちを書いていこうと思います。
私は小学生から大学生までずっと日本の教育機関に通いましたが、海外留学を時々しておりました。

まず初めに私は夏休みを利用し12歳で一人で渡米をし短期留学に行きます。当時中学生でしたが、今でも初めての海外経験は鮮明に覚えています。まあ第一印象はとりあえず、アメリカの中学生はみんな大きいなー!!!って感じでした。あの頃はMy name is など自己紹介しかできなかったので、よくそんな英語レベルで飛んでいったなって今なら思いますね。

そのあとは19歳にイギリスのオックスフォードに夏休みの短期留学。ここで初めてアジア人人種差別ということを経験。2ヶ月間一切日本人と絡むことなく英語勉強に励む毎日。

次は21歳で上海に1年間留学、これが人生というか人格の転換期。
中国語を学ぶのはもちろんのこと、上海では自分一人で生き抜くことを学びました。というよりも学ばざるを得なかったのです。私の通っていた復旦大学という大学は、欧米、アメリカ、東南アジアなど世界中の学生が集まる超グローバルな学校でした。
そんな学生生活の中で気づいたことは"日本のような同調型では潰される"ということです。日本文化は、謙虚に、控えめに、とても親切な文化だと思います。逆に言えば人と違う行動や発言をすると後ろ目をたたれる、という文化にもなります。ですが上海では180度その反対。自分の意見を主張して当たり前。しないとあなたはいない存在同様。そんな環境で生活を1年続け、帰国後日本生活へ戻るも、もう日本の閉鎖的な文化には合わず、卒業すると共に海外へ出ようと決断します。

22歳の頃就活をし、新卒から海外駐在勤務、これを条件に入社した会社で、5月からシンガポールへ渡航。これが私のシンガポール生活の始まりです。
ここでは内容は省きますが、もうすでに上海生活の中でグローバルマインドになっていた私は日系会社の働き方、考え方など在り方に同意することはできず、結論1年後には大手金融IT系外資に転職することになります。ちなみに現在もこの会社に勤務しておりますが、ここの会社は120%断言しても過言ではないと言い切れるほどのホワイト企業。給料も良し、残業0時間、有給も27日全員が必ず消化できる、従業員の平均勤務年数も10年ほどです。
そんなホワイト企業でぬくぬく生活をしていた私ですが変化が起こります。

次回の記事では私の副業生活の始まりについてお話しします。

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