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3:00プロジェクト
0時を回った。日付が明けた。
カウント的には新しい一日の始まりだが、ある程度の歳を重ねればこれからが一日の締め作業という人間が大半だろう。
私もその中の1人だ。
「ある程度の歳を重ねれば」という言葉はかっこつけているだけで当方まだまだ18歳のクソガキである。
3:00プロジェクト
一日の締め作業の締切の時間、すなわち就寝時刻を3時と設定し、生活嫌いな私の作業効率を上げるために脳内で作成されたあまりにも勝手なプロジェクトである。
生活嫌い。読み進めてこの言葉にひっかかった方が大半ではないか?(と思いたいが…)
「生活」と「嫌い」。
こんな単語は小学生、いや幼稚園児でも分かるような超初歩的日本語。
けれど組み合わせると馴染みのない言葉になる。
中学生の当時、現在に通づる自堕落な私を救ったのはこの言葉であった。
星野源の著書『そして生活はつづく』に登場した言葉だ。
ひとつの話の概要としては、
携帯の支払い方法変更の葉書(もしくはガスの請求書)を探している→
探している途中になくしたつもりでいたマイケル・ジャクソンのグッズを見つけてテンション上がる
→そちらに気を取られて元々探していた葉書or請求書を探すのをやめてしまった。(また後ででいっかあ的な)
2009年の星野源はそんな出来事を自身初のエッセイに残していた。
こんなにあらすじが曖昧なのは、これまた私自身の生活嫌いにより部屋が荒れ果ててしまい、本の行方が分からなくなり、読み返すことができないため拙い記憶から掘り起こしてきた訳である、そのため曖昧。
このエッセイのモットーは『そんな素晴らしくない日常を、つまらない生活をおもしろがろう!』と。
衝撃だった。
部活の朝練にはほとんど顔を見せず、提出物も期限内に提出できたことなんてごく稀、そのため親や先生からは叱責の日々。(当たり前だが)
人より秀でていることがない上にそんなことを繰り返していた私は「なんてダメ人間なんだ…」という自負があった。あるのに一向に改善しなかった。本当に真のダメ人間だ。と思っていた中学時代。
この時はただ衝撃を受けて終わっただけであった。え?
後にこの言葉が響いたのは高校退学後。
『そんな素晴らしくない日常を、つまらない日々をおもしろがろう!』
いつだっただろうか、突然思い出した。
「制服プリ撮りに行こー!」
「野球部の○○、○○ちゃんと付き合ったらしい!」
「こないだ隣のクラスの推しとこんなことあったんだよー!」
素晴らしいな、青春か。
そんな友人と比べてどうだ?私の日常は?
自分で望んだ道でも、やはり普通と道を外れればこんな思いをしていた。みんな卒業した今だから書けることだが。
そんな時にエッセイのモットーの一節をいつの日か思い出し、同時に生活嫌いという単語も頭に浮かんだ。
決して素晴らしくはない日常。
青春とはお世辞にも言えないたまに行く通信高校。
バイトと家事を繰り返す毎日。加えて自堕落な生活。
けれどそんな日常もおもしろいではないか!今日のバイトでは一癖あるお客さんがいたなあ、合間にこんなに家事をこなしている私えらい!とシフトチェンジに成功したのである。
この気づきは私の人生においてとてもファインプレーであった。死ぬほど生きやすくなった。
そうして毎日を過ごしていると、今日も0時を回った。
自堕落な日常でも、部屋が荒れ果てていても、3:00プロジェクトを遂行できれば一日の締めとしてなんだか満足しているのである。
3時間もあるのに締切時間までにタスクをこなすことが決して容易ではない私は今日もプロジェクトと向き合っている。
あー、あと1時間でお風呂出て洗濯物干さないとなあ
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