見出し画像

知り合いに紹介されたヒト・モノに触れてみる性格。

「あの人、面白いよ!」
と聞くと、紹介してください!とすぐに反応してしまう。

「あの本、面白いよ!」
と言われ、身体が勝手に本屋に向かう。

カラオケに行った時、
「この歌、いいよね~」と言われた曲をアップルミュージックで検索して、自分のプレイリストに追加する。

こうやって、わたしの価値観はアップデートされる。
おかげで色んなワクワクに出会ってきた。

例えば、先週の金曜日。
とある人に、この人面白いから繋げようか?と言われたので、お願いします!と返事をし、ことがトントンを進み、京都にある「Studioあお」の川村さんとお話させていただく機会を得た。

私の地元から京都までは、バスで片道3時間。バスに揺られながら、どんなことを話そうかと想像する。
川村さんという人に触れ、自分とどんな化学反応を起こすのか?自分と合わないのか?合うのか?面白いことになるのか?なんてことを想像しドキドキワクワクしながら「Studioあお」に向かった。

そして、待ち合わせをしていた定刻がきて、お会いすることになる。
笑顔が素敵な方で、とても話しやすかった。不安定な自分のやりたいことを真剣に聞いてくれ、川村さん自身の考えをたくさん聞かせていただいた。めちゃくちゃ面白かった。

だけど、自分に会話のボールが飛んでくると、考えをすぐに言語化して伝えるという作業ができない。そんな自分に非常に嫌気がさした。

それでも、一生懸命理解しようとしてくださった川村さん。本当にありがたかった。素敵なお方だった。

軽く子供たちの様子を見学させてもらってから、「Studioあお」を後にして、京都の街を歩きながら自分と対話した。
自分が何をやりたいのか分からなくなった。自分は、こんな衝動性を使って、やりたいこと・自分探しをしている人間なのだと自分の本質的な部分に触れる機会になった。

それから、翌日。川村さんの著書『「ガチャ時代」のやりたいことの見つけ方』を購入して、数時間で読み終えた。
本に書いてあったこと、お話させていただく中で見えたことを思い出し、照らし合わせて、自己との対話をしてみた。

分からないけど、分からないと嘆きながらも動き回る自分のことが嫌いじゃないなと思えた。こんな人生もありだよなと思えた。

意外と、これでいいのかもしれない。
いいと思えた自分の中にあるワクワクする気持ち、これを活かしながら、
わたしという人間で社会に適応していきたい。

そう思えるようになった。

その前は、オンラインでキャリアブレイク研究所の北野さんとお話しさせていただく機会があったり、知り合いの紹介で繋がったADHDの方とお話したり。意外と、お願いしてみるものだな~と思う。

断られる前提でもいいから、アタックしてみてもいいんじゃない?

話すことが詳細に決まっていなくても、大枠もっていたら意外となんとかなるから"とりあえず"が大事なんじゃない?

今は、そう思う。

そしたら、先人たちの知恵により、道が拓けて一気に可能性が広がる。
選択のひとつに誰かと話してみる、を追加することって意外と大事な気がする。

でも、何者でもない自分に、時間を割いてくださる方への感謝の気持ちを忘れてはならない。

この人たちに追いつくぞでもなんでもいいから、何かを一生懸命伝えること。そうして、この人と話してよかったと思わせられるような人になること。

それが、何者でもない自分が唯一できるギブだと思う。

そんなパッションよりも早く、対等な立場で関われるような人間に成長したいと思うのが今のわたしではあるが。

それから本の話。
とある人が、本を貸してくれる時に言った。「この本貸してあげるけど、わたしの引いた線を見られるのが恥ずかしい」と。

わたしには、その感覚が分からなかった。
むしろ本を借りるときに、貸してくれた人がどんな部分に惹かれて読んだのかが知れることに価値があると思っているくらいだ。

いや、でも、わたしとは全く真逆の思考の人もいるのだと勉強になった。

という話がしたいわけではなく。

わたしは知り合いが紹介してくれた本は8割方、読むようにしている。
その理由は、その人の価値観が、本で形成されている可能性が高いと思っているからだ。
紹介された本を読み「あ~この文章と、あの人の行動繋がるな。」と点が繋がったような感覚になるのが楽しい。

それが分かったら、自分はこの価値観を自分の中にインプットできるのだろうか?と自己との対話を始める。
そうして、自分の人格を形成していく。

言語化すると若干ストーカーのようなことをしているようにもみえるが、そうではない。

わたしがこのような行動をする理由は、誰かのかけたメガネで自分の視界がクリアになるかもしれないという期待をしているからだ。

自分の関心がどこにあるのか?ぼやけている興味関心の部分にどんなメガネをかえたら、クリアになるのか?
それをずっと探している。
このような感じで、どこまでいっても、向かう先は自分にある。

それでも最近は、自分という人間に興味があるということをようやく受容できるようになり、人生が虹色になった。(分からなさすぎると色がかすんでくる感覚にもなるが、それも含め虹色だと表現しておこう。)

音楽についても触れようと思ったが、本と同じで自分の視界をクリアにするためな気がする。誰かが歌った曲を歌詞を眺めながら聞く。
いいな~と思ってリピートする曲もあれば、笑ってしまうほど音楽が入ってこないこともある。

だから、カラオケは専ら聞く専。

他人の音楽への感性がコミュニケーションを通さなくても理解できる、あの空間は、言語化できないけどエモいと感じる。

こんな感じで、なんでも素直に受け取ることから始める。
デメリットとしては騙されやすいになるのかもしれないけど。

騙されるのも経験だと思えば、なんでも価値がある気がする。
何もない人生より、いろんなことが詰まっている人生の方が絶対に楽しい。

わたしはそう思う。
だから、これからもいっぱいの価値観に触れるつもりだし、その中でいっぱい失敗もしようと思う。

過去のわたしだったら、失敗するたびに、自己否定して消えたくなることがあるかもしれない。
だけど、助けてと言える繋がりをたくさんつくってきた今のわたしは強い。

だから、どうにかなる気がしている。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?