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尊敬する、だいすきな父。

お父さん、いつもありがとう。

言葉にすると、軽く聞こえるが、
軽いからこそ、育ててくれた親に
気軽に言えて届きやすい言葉なのではないかとも思う。

父。

無口で真面目で、家族思いな人だ。

お喋りなわたしが、
父に向って喋っても、
へぇ~としか言わない。

だけど、関心があるのか、
わたしが話したことは全て覚えている。

それを、分かるのが、
お酒を呑んでいるとき。

お酒を呑むと、
父はいつも楽しそうに笑う、喋る。

その時に、父の口から出てくる言葉を
聞くのが幸せでたまらなかった。

いつも、わたしのことをいじりながらも、
愛のある言葉で褒めてくれた。

父。

真面目な人だ。

公立の高校、国立の大学を卒業し、
一般企業に就職した。

その会社で今も勤めている。
今後もやめる予定はなさそうなので、
いわゆる、終身雇用にあたるのだろう。

父は、文句ひとつ言わずに働く。

たまに、愚痴をこぼすこともあるのだが、
その時に、父はいつも、
「どんなに嫌なことも楽しいと思ったら、楽しくなるんだよ」と、
教えてくれた。

だから、わたしも嫌いなことも
楽しいと思って向き合おう。

そう決めている。

そしたら、本当に楽しいことが増えて、
周りの友人が嫌う、
卒論も、案外楽しくやれていたりする。

コンビニでのアルバイトだって、そうだ。
世間の人は、あまりいい印象を持たない、
レジ打ちも楽しくできる。


素敵な思考を
ギフテッドしてくれた父に
感謝。


父。

いつも、家族のために働く。
仕事をして、得たお金は
自分ではなく、家族のために使う。

趣味もない、こだわりもない。
なんでもいいから、とにかく節約。

自分よりも、家族のために行動する。

わたしが不登校になったとき。
学校に電車で通うことができなくなっていたわたしを
毎日、送ってくれた。

毎朝6時に出勤する父、
わたしのために始業時間を遅らせ、
職場とは間反対にある
学校に送ってくれた。

帰宅時間になると、
今度は職場を抜け出し、
迎えにきてくれた。

そうして、また職場に戻っていく。

実に4時間程度の拘束だった。

それなのに、嫌な顔ひとつせず、
当たり前のように、送り迎えをしてくれた。

現在、仕事の関係でアメリカにいる父。
昨年、遊びに行った時も、わたしが最優先だった。

何が食べたい?どこへ行きたい?
何がしたい?

逐一質問され、
要望通りの場所に連れて行ってくれる。

その中でも、車内のラジオだけは譲ってくれなかった。(笑)

言葉数は少ないものの、
いろんな場面で、
愛してくれていることを実感する。


父。

いつもありがとう。
そんな言葉では表せないくらい、
感謝でいっぱいだ。

それなのに、
わたしは幼い頃、
反抗期だったのか
父のことをウザイと思ったことがある。

悪意があったわけではないのだろう

「お父さん、ウザイ」

と友人に送ったメッセージを、
父に見られてしまったのだ。

今でも父はそれを覚えていて、
いじりかのように話題にする。

そのたびに、笑いながらも
わたしの胸は締め付けられた。

この出来事を後悔したわたしは、
だいすきな父への想いを
言葉にするようになった。

年に1回の父の日はもちろん。
季節が変わるたびに、
便箋を買い、近況を報告する手紙を送った。

そして、最後に
「いつもありがとう。大好きだよ」
と綴っていた。

年に1回の帰国時には、
全部の予定を消し、父に捧げた。

今まで、父のためにできることは
自分なりに精一杯してきたつもりだ。


だけど、まだお金の面、
将来のことなど、色々
迷惑をかけてばかり。

来年の父の日には、
社会人になっているだろうわたし。

これからは、お金の面でも感謝を伝えられるような人になっていたい。
いつもありがとう。お父さん。


ラジオの時もそうだったが、
自分の好きなものや人への愛を文字にすると
著しく語彙力が低下している感覚になるのはなぜなのだろう…。(笑)




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