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就職と、それ以外。

朝井リョウさんの『何者』を読んだ。

醜いわたしと、その上を進む友人。

わたしは、「就職をしない。」という選択をしたことで、
当たり前のように就活をし、内定をもらう友人を
心のどこかで馬鹿にしていたことに気づく。

友人に内定先を聞いたとき、
わたしも、本書にでてくる登場人物のように、
企業がブラックがどうかを検索したことがある。

志望理由を聞いて、
そんなので生きていけるのだろうか?と、
疑問を持ちながら、
自分の判断の方が正しいのだ、と
友人を卑下したことがある。

今も、ずっとそんな感じなのだと思う。

そうすることでしか、
わたしという人格を保つことが出来ない。

あまりにも、弱く脆い自分に悲しくなった。

だからといって、就活を再開しよう
とはならなかったのが、わたしの今。

では、わたしはこの本で何を感じ、
今後、どうしたいと思っているのだろうか?

本作に出てくる刺さった文章を抜粋しながら、
ここに文を綴りながら、考えたい。

就活と、それ以外。

まず、
拓人、光太郎、瑞月、理香の4人が、就職の軸に
・会社の規模
・会社の理念
どちらを大事にするかという話題になった場面で、
「結局、バランスが大事だ。」
と結論づいた後に、

隆良が

でも、それって結局、自分ひとりじゃ生きていけない道を選んでるってことだよな。

『何者』84ページ

突き詰めて考えると、俺は、就活自体に意味を見出せない。何で全員同じタイミングで自己分析なんか始めなきゃいけないんだ?働き始めるタイミングなんて人それぞれでいいはずなのに。自己分析って何?誰のためにするもの?

『何者』85ページ

俺は流されたくないんだよね。就職活動っていう、なんていうの?見えない社会の流れみたいなものに。

『何者』86ページ

就職活動している人をみると、なんか想像力ないんじゃないかなって思う。それ以外にも生きていく道はいっぱいあるのに、それを想像することを放棄しているのかなって。

『何者』87ページ

と、約4ページにわたって、就活への違和感を言葉にしている部分がある。

これを読んで、
わたしの感性はこれに近い、と
隆良にとても共感した。

その会社がいつ潰れるか分からないし、

いつ何かが起きて、
いつ死ぬのかも分からない時代に、

安定なんて状態はないはずだ。

それなのに、目先の安定を求めて、
就職する。

会社の一部として機能する。


それでいいのだろうか?

苦手な集団という組織に入らなくたって、
楽しいと感じられる
ある程度の収入が得られる仕事は
あるんじゃないだろうか?

今まで出会った大人のキラキラした姿を
思い出すたびに、
当たり前のように就職活動して、
内定をもらって喜ぶ友人を疑ってしまう。

まあ、本人がそれでいいのであれば、
それまでだが、
わたしは違う。

いつもいつも、世の中の「普通」に対して、
疑問を抱くし、
楽しく働く大人も知っている。

そんなわたしが、
わたしらしく働けそうだ、と思える
企業に出会う前では、絶対に就職したくないのだ。

だから、やみくもに妥協点を探しながら
何十社もエントリーということを
わたしは絶対にしたくない。

このように考える中で、
働き始めるタイミングを統一化されている
日本の新卒一括採用という「普通」にとても違和感がある。

自分のタイミングで、
自分の働き方を見つけたい。

そのためには、色んなものを吸収して、
自分の頭で考えて、
アウトプットする作業を怠ってはいけないと思った。

いつも、したいことがないと記すことも多いが、
やるべきことが見つかった今、
自分の生き方を模索するために時間を使おうと決心できた。

ふたつの選択。

就職活動において怖いのは、確固たるものさしがない。ミスが見えないから、その理由がわからない。自分がいま、集団の中でどれくらいの位置にいるのかが分からない。面接が進んでいく中で人数が減っていき、自分の順位が炙り出されそうになったところで、また振り出しに戻ってしまう。マラソンと違って、最初からゴールが定められているわけではないから、ペースを考えるなんて頭脳戦にも持ち込めない。クールを装うには安心材料が少なすぎるのだ。
だから、その中でむりやりクールを装ったり、間違った方向に進んでしまうことになる。説明会で自分だけ私服だったことをアピールしてみたり、就活という制度そのものを批判することで、個性とか夢とか、そういう大きな話への転換を試みてみたり。

『何者』183ページ

先程、就活に対する違和感を述べたわたしにとって、
拓人の言葉は、自分が否定されているような気持ちにさせてくれた。

確かにその通りだと思った。
だけど、このゴールの見えない就職活動において、
何度もくじけて心が折れたときに、
ふたつの選択があると考える。

ひとつは、拓人が述べるように、
就職活動を否定し、個性や夢を見出すことで、
自分のアイデンティティを確立するための行動にシフトチェンジすること。

そして、もうひとつは、
安定を求めて、社会に適応する自分にシフトチェンジすること。

どちらも正解で、どちらも間違いだ。
だから、拓人にとって、夢を追うと選択した人を
間違いだと判断し、
否定的な目で見てしまったのかもしれない。

だけど、それを選択した本人が、
その道筋で、生きていこうと決心しているならば、
素直に応援するべきだろうと思う。

と、書きながら、わたしの友人が
後者の安定することを望んでいるから、
わたしが、真逆の選択を選んだ立ち位置から、
馬鹿にしていたのではないかと気づいた。

先程、自分でも述べたように、
わたしも友人を応援するべきなのだろう。

そんなことを考えると、
次会ったとき、
対等な立場で話せる気がしてきた。

自己実現

就活しなくて正解と言った隆良の見解は、

会社って、考え方が合うわけでもない人たちと同じ方向を向いて仕事をしなくちゃいけないだろ?
その方向っていうのも、会社が決めた大きな目標なわけで。納得せずに、自部を殺して、毎日毎日朝から晩まで働くって、そんなの何の意味があるんだよって俺は思う。自己実現が人間にとって一番大事ってどこかの哲学者も言ってただろ。

『何者』248ページ

であった。
わたしが22年間生きてきた中で、
合う人、合わせたいと思える人に
出会う機会がほぼなかったのか、
それとも、わたしの感性がバグっているのか
その辺は、分からないが、

合わない人と一緒にいる苦痛を味わい、
失敗を重ねてきたわたしにとって、
大きく頷く表現をしていた。


と、同時に「自分の人生」
わたしはなんのために生きるのだろうか?
という問いを自分に投げかけたときに、

会社の属して働くことが、
自己実現するための手段ではないことが
明確にあった。

いいものをいいとして届けて、
それをいいねと言ってくれる人との繋がりを大事に
していきたい。

また、他人のいいなと思える部分、
性格悪いなと思うけど、それを認め自白できる
人間の強さに触れていたい。

それができるのであれば、
わたしが生きる意味は十分にあるのだと思う。

だけど、
これを実現するために、
お金が必要で、アルバイトでは
回せなくなった時に、
お金を稼ぐ手段として会社に属すという手段を
選ぶことがあるかもしれない。


だとしたら、それが、
わたしの働き始めるタイミングなんだと思う。

色々、就活しないこと。
就活すること、上手くいかないこと、
などがリアルに描かれた1つの小説ではあったものの、

この本から、
改めて、今のわたしに就活ではないことをしたほうがいいと
言い聞かせる良い機会となった。


自分の人生は、なるべく自分で選択し、
その行動に責任をもつこと。

それが、わたしがわたしに課す
唯一のルール。


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